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2021年10月12日

他者のために生きるという「人間らしさ」の言葉の意味は、かなり前から言われている。それはブッダも言っているし、キリストも言っていた。おそらく人類が人類として進化した時から他者のために生きる、協力して働き助け合う“社会”という集団行動構造を作って来たのだろうと思う。ネアンデルタール人とホモサピエンスの違いがその集団構成力の違いだったのだろうと思う。

最近読んだ本では、ブッダは男女の差別をしていないということが書いてあった。キリストは差別ない愛を訴えた。最下層の人びとと同じ立場に立って、平和と平等を唱えた。決してきらびやかに着飾った金襴緞子を纏う法主や法皇を制度として人民のトップにいただきありがたがることを訴え、それに従うように唱えたわけではない。むしろ、そんな存在を否定したのだ。が彼らの教えは広がるにしたがって、誤って解釈され、歪み、全く違うものとして完成した。

宗教は歪む。同様に、革命理論(マルクス・レーニン主義)も歪み、ソビエトでも、東欧の国々でも、北朝鮮や中国でも、個人崇拝の専制国家になってしまった。差別搾取された労働者と農民が中心となる平等で自由な国家と間反対の国家を作ってしまった。そしてソビエトと東欧諸国は崩壊した。北朝鮮と中国はまるで封建国家に戻ったような個人崇拝の国家になっている。人びとは監視され投獄され、自由は制限されている。これは決して未来社会ではない。新しい社会ではない。

日本は、どうなっているかは別に考えて行く必要があると思うが、少なくとも自民党政治では、自民党の権力者が殿様のような権限を持って支配をしている。武士道よろしく殿の過ちは部下の誰かが責任を取ることで終わらせている。政治の仕方は、家康が言ってたように「知らしむべからず、寄らしむべし」ということを実践している。ウソは国会で117回と言い放題、議事録は書き換える。それをやらされ、苦悩して自死した人の奥さんの訴えに答えることをせず、手紙を読んでも変わることなく、説明はしない、犬を抱いて微笑み、もしくはホットケーキを食べて良い人を演出し人気をとる。やることは、近くに居る越後屋を儲けさせること。賄賂は小さいものから、政党助成金と言った国家財政から堂々ともらうというものまで、仕掛けはしっかり作って来た。3割の支持があれば7割の議員が当選するという制度も創った。

投票する人たちは、立候補者の政策ではなく、顔を見たことがある、スポーツで頑張った人だ、歌を歌っていた、テレビでよく見たと言った政治に関係のない顔見知り?(一方的にこちらがテレビで見たことがあるという顔見知り)で投票している。そこにはどんな国や社会やコミュニティーを作ろうという意思が感じられない。その人の美しい甘い言葉でつられ、投票する。その人がたとえ保健所と公立病院を削減してコロナの対応をズタズタにして、自宅待機の人を見殺しにした人たちだったとしても。 (ちょっと熱くなった。話しを戻そう。)

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