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2021年10月25日

未来の選挙の妄想 民主主義の続きの続きの続き

民主主義は、キリストの隣人愛がベースになって、他者を自分と同じ人として尊重する感情を、宗教ではなく哲学として、理論として法律として整備し、国家としてのまとまりを作っていくというものだ。

「万人の万人による戦い」の社会から平和な社会に移行するために、「万人の持つ権利を誰かひとりの王に譲渡(実際は、はく奪された)」(王権国家)するのではなく、みんながみんなに譲渡(社会契約)するものにする。みんながひとつにまとまるには、みんなが意見を言い合って、足し引きされて残ったもの(一般意思)に従うルールとするという考え方。ある時は、多数決かも知れない、ある時は時間をかけて話し合いわかり合うことかもしれない。だから時間がかかる。(これは弱点か?!)

この考え方を、世界に広めて地球規模で平和を訴えたのが、カントだ。「永遠平和のために」(1795年)では、共和国同士(専制国家・独裁国家ではない)が連合を作り、各国独自の国軍を廃止し、国民は戦争の開始に同意しないという思想を訴えている。まるで日本国憲法そのものだ。そう、こうした思想が、アメリカの独立、フランス革命や国際連合の基になって、侵略戦争に負けた日本に、当時の(いや現在でもなお)最先端の思想を盛り込んだ国家原則を決めた憲法を提示し、当時の日本はそれを受け入れ歓迎し今に至っている。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の構成と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」(「日本国前文」より)

この文章は、まさにルソーからカントにつながる人間の思想の進歩という流れを受け継ぐもので、最先端を進んでいる思想なのだ。自国を守る意思が無いという批判は、こうした人間の思想の進歩を全く理解していない昔ながらの考え方なのだと言わざるを得ない。民主主義に基づく国の在り方が、自分の自由を一般意思にゆだねることによって成り立っているように、国家社会にあっても「自国ことのみに専念して他国を無視しない」関係を保ち、信頼し合う世界に向けて自らが第一歩を歩み出す決意と勇気を持って示すというリーダーシップを謳ったものだ。「栄誉ある地位」を得ることができる誇るべき一文だと思う。(そうなっていない、情けない政党が政治を握り続けて来たのが日本の最近の政治だ。)

こうなってしまうのは、政治や社会の在り方を“今”という瞬間の問題として捉えようとしている見方、認識の狭さだと思う。もっと遠くの未来を見ることが欠けている。

そういえば、このまま20年30年すれば地球環境が大きく破壊され、人間社会が、国家が、文化が、海面下に沈んでいくかも知れない。「天気の子」の東京が本当になるかも。    

そんな未来を見据えて、”今”の人間がどうすべきかを考える必要があるのだ。それは王やトップと少数の人だけが考えるのではなく、全員で考える必要があるのだ。

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