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2021年11月30日

“こころ”は、複数の感情を同時に持つ。そして瞬時にそれぞれの強さ大きさが変化する。どれが本当の感情なのかということが分からなくなる。

妬みや恨みや非難する感情は確かに存在する。が同時に、かわいそう、ほおっておけないといった感情も同時に存在している。どちらが強いかで行動が変わるし、自分の気持ち、“こころ”の在り方の理解が異なってくる。

自分は冷たい人間だと思うのか、かわいそうだと思うけど手を差し伸べる勇気がないと思うのか、気づいていたら手を差し出していたから自部の気持ちがどうなのかは分からないとか、ちょっと気持ちを落ち着かせたら手を差し伸べることができたとか、“こころ”の在り方はいろいろある。

“こころ”をどうとらえるか、“こころ”とは何か、という考え方がおなじ現象や状態を見た時に、それはこういうことなのだ、分かったという納得の仕方が違ってくる。

見方のひとつは、まず人類史の流れの中で“こころ”を捉えること。さらに言えば物質運動の130億年の流れの中で捉えるという視点だ。物質運動が生命体となり神経細胞の集合体である脳を創り、その脳の働きとして“こころ”が生まれて来た。そしてそれは物質が発展進化してきたように、“こころ”も同様に発展進化してきたし、まさに今も発展進化しているものなのだ。という捉え方がひとつ。

もう一つは、個々人の“こころ”としての捉え方だ。まず“こころ”は人類、人間しか持っていないという事実の認識。そして、人間は何もできない赤ちゃんとして生まれ、それなりに大きい脳(動物の子供としては相対的にかなり大きいものらしい)を持ってうまれたが、さらに20年という長い時間をかけて成長させ、同時に様々な感覚と情報と言葉を受け取り、機能としての“こころ”を、20年、いやそれ以上の長い年月をかけて成長させて来ているものだという視点だ。(人間の脳は21年から23年かけて最大の大きさになるらしい。何かの本に書いてあった。これでは研究者に成れないなぁ、笑)

この二つの視点で、今現在の自分の“こころ”を眺める。言っている意味が分からないかもしれないが、ものすごい視点で俯瞰する。それで、確かに孤独感や寂しさや苦しみや辛さは消えないと思うが、そうした感情が、何かの出来事や人間関係で生じているのだが、こんなことが起こらなければよかったのに、あんな奴と出会わなければよかったのにといった思いの他に、全く別の見方を一つ加えることで、何か違う思いが生まれて、気がまぎれるかもしれない。気をまぎらわすということも、感情マネジメントのひとつの方法でもある。

「あぁ、辛い、寂しい、、、」と感じた時、「なぜ、私はだれにも好かれないのだろう」と思う、と同時に、「あ、これは今セロトニンが少ないからこんなに不幸を感じているんだ」と考えて、「じゃ、セロトニンを増やそう。陽を浴びよう。表に出てお日様を見上げよう」という考えに至って、気がまぎれるかもしれない。

追記:今日図書館で偶然面白そうな本を見つけた。

「人類はなぜ<神>を生み出したのか」 レザー・アスラン (1972年 イラン生まれ 宗教社会学博士)「文芸春秋」出版

まさにこれまで、グダグダと書いてきた「神」についてその誕生と発展の歴史が、考古学・歴史学・認知心理学を総動員して書かれているらしい。答え、もしくはヒントが書かれているかもしれない。ただ、著者はイスラムの信者として、神を信仰しているという立場で書いている。読み終わったらまとめてここに書いてみたい。


「みやじいのひとりごと」は今後も不定期に掲載予定です。

どうぞお楽しみに!

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