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2021年12月02日

“こころ”は、感情とそれを行動に移す意思と、良い結果を生み出そうとする理性などがモザイクのように、いやそうした点と点のまじりあいではなく、それぞれの感情のグラデ―ションを飴細工のように決してまじりあわないが交錯させているというものだとイメージする。さらにその混じり方が時間によって変わっていくという複雑怪奇なものだと思う。見る視点、どこを切り取るかで色や形が異なり、しかも時間が経つとドロリと崩れるように、溶けるように、形も色も変わる。そんなイメージだ。

そして、人間はその“こころ”を意識することができる。感情と理性と意思が混ざり合ったものを区別して把握しようとするところまで進化してきた。これは個体としての生命を維持する、自然災害から身を守り、捕食される危機から逃れ、生き延びるために感情が生まれた。その感情の発動が単に個体としての自分の命を守るだけのことから、卵や子供を守るという自分の個体だけでなく他者・それは子孫なのだが、個体ではなくDNAを他者と融合させて存続させるという意図を含んで複雑化し深化してきた。人間はそうした他者の命を残すという自分の直属したDNAの存続という世界からさらに広げ、人間という種の存続にまで感情の発露を広げて来たということだ。オキシトシンの発現が子供だけでなく他者一般にまで広がったといえる。人類という意識が共通化してきたと言える。(そういえば戦争になると、敵は人間ではなく、悪魔であり鬼出であり獣とされた。・・・いつも同じことを繰り返して書いているなぁ(笑))

そうそう、今読んでいる「人類はなぜ<神>を生み出したのか」に、宗教は、農業が起こる以前の4万年以上前から始まったと書いてあった。あの洞窟の奥に絵が描かれた時から生まれていたのではということだ。あの絵は、獣の中になにか魂を見い出してそれを描いたのではないかという説だ。魂、それは信仰心の目覚めである、神の創造につながっている。

なるほど、体系化されていないが動物や樹木や岩などに“顔”を見い出し(人間の脳は何らかの輪郭の中に点が二つ並んでいたらそれを顔と見なすという働きがある。みやじいも壁紙を見ていたり、ごつごつした岩や、古い土塀を見ていてそこに動物の顔や姿を見つけ出すことがよくある。)、そこに人間である自分と同じような意識や感情を持つ存在がそこにあると意識する。それが魂だ。

逆に言えばつまり、4万年前に、人間の脳が魂を自分の中に意識し始めたということだ。200万年ほどかけて人類は魂を創ることができた、そこまで進化してきたということだ。そうした脳を発達させる方向に進化し続けて、それが生き延びる何らかの強さ・優位さ・自然選択に勝ち残る何かがあり、その結果現在の人間にまで続いている。魂を創りだし、それを自分の中にあると意識し、自然化の中にそれが存在するという意識を持つようになった。

それが宗教の始まりだ。魂の創造、魂の意識が神を連想させ、意識し、創造した。魂とは“こころ”だ。“こころ”が生まれた時、同時に宗教が生まれ、神が生まれた。感情の複雑さと混濁化が“こころ”を形作り、魂と呼ばれ、それを恐れ憧れ崇める、宗教が生まれた。(結局、同じことを書いているなぁ・・・)

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