スポンサーリンク

2021年12月05日

“こころ”を子供たちにどう教え、どう発達させていくか、という教育の問題を考えてみたい。

よく、知識だけでなく道徳を教えることが重要だ、人間教育が必要だ、と言われている。

分かる気もするが、道徳とは何か、人間教育とは何かを、教える大人たちがちゃんと理解しておかなければ教えることができない。そうしないと、結果は非人間的な子供や青年や大人を育成してしまうことになると思う。

もうひとつ、道徳は知識ではないのかとい疑問にも答えなければいけないと思う。正しい知識が正しく教えられていないのではないかという反省も必要な気がする。

道徳とは別の言葉で言えば倫理ということになるのかもしれない。つまり人として正しくあるべき考え方や行動規範のことだ。これを子供たちに教える。行動規範だからそのように鼓動できるようになることが目標だ。

では、何をその規範とするのかということになる。ちょっと前までの日本では、天皇のために命を捧げることが根本規範として教え込まれ、そのように行動しろという世間という圧力と憲兵という権力、軍隊という命令機構が、青年を特攻隊という行動を取らせ、「みごと」にその価値通りに命を散らせた。これは、人間らしい価値なのか、すばらしい日本人としての行動規範だったのか、今の青年たちの2世代前の日本の“こころ”だ。

確かに、他者を尊重し、他者のために自らのすべてを差し出すという方向性は、人間の他の動物と違う点だ。だから、お国のため、銃後の父や母や家族のため命を懸けるという“こころ”は、ある意味“こころ”の進化の方向の中に含まれていると思う。

それは、部族間の戦の時もあっただろう、殺された家族の思い殺した相手を殺そうとすることもあっただろう。しかも、そうすることが当たり前で、そうしないことは家族思いのない臆病者だと蔑まれて来たのも歴史の本には書かれている。小説や漫画やアニメでもよく描かれている。ということは、それを正しいことだと“こころ”に教え込んできたということだ。

もし、この“こころ”が、“こころ”としてのゴールと思うならば、子供達に引き継ぎ、教え込まなければならない。

問いかけよう、このような、“こころ”が、“こころ”自ら望んで成長発展してきたゴールとしての“こころ”なのだろうか?そんな道徳がこれからも必要なのだろうか?と。

このことについても、いつか考えて深めていきたい。

いずれにしても、教育は、未来の人間の“こころ”をイメージして行うことが必要だと思う。

知識は、科学であるべきだ。科学とは、仮説を論証できるもの。条件を揃えれば再現でき、確認が取れるというものだ。 残念ながら、“こころ”の科学は、まだそこまで至っていない。(みやじいの勉強不足で理解できていないだけかもしれない。)

スポンサーリンク

Twitterでフォローしよう

オススメ記事