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2021年12月08日

“こころ”は、人間として10万年程かけて作ってきたのだろう。ネアンデルタール人も故人を埋葬し花を手向けていたらしい。人間の心はハードとしては個体にとっては巨大な脳として進化してきた。感覚のセンサーは何かに特化することなく、光も熱も匂いも音も味覚もそして手触りも発達させ、それを感情として統合し、さらに言葉を創り、ソフトとしての“こころ”を創りあげた。(“こころ”は言葉で出来ているとは、斎藤孝氏の言葉だったと覚えている。)ハードの脳は、肉体的な成長によって、赤ちゃんから成人までの20年をかけて完成していく。問題は、そこにどんなソフトを作るかだ。感覚をどう統合して感情とし、その感情をどうマネジメントして行くかという、ソフトだ。

最初の頃に書いたが、人間だけが生き方を考える、そしてその生き方を知らない、学ぶしかない。極端なことを言えばセックスの仕方も教えてもらわなければできない。動物として命をつなぐ最も重要な行為も知らないで生まれ育つという動物にまで進化してしまったと言える。

そして、人間は「自分は何者なのか」を問う存在となった。生まれ育つ意味を考えてしまう脳を持ってしまった。そうした存在の赤ん坊に真っ先にソフトとして与えるものは、生まれてきたこと、存在することを認めてあげることだ。難しく書いたが、誕生を喜びその喜びを伝えること、生きて存在していることを認め大切にしてあげること、簡単に言えば世話をすることだ。これは、ある意味、無意識でオキシトシンが分泌されて実践できているかもしれない。このことを意識することだ。オキシトシンで繋がる関係、聖火の炎がトーチからトーチへ繋がって行くというイメージを持つことだ。(そうしたイメージを持てる社会=安心で安全な社会を創り維持していくことがベースでもある。)

“こころ”を育むには、“こころ”をイメージすることが大切だ。人間の脳はイメージたものを創り、発展させる働きを持つ。“こころ”もその一つだ。「神」が、その時代とその民族にとっての“こころ”だと書いたが、「神」がイメージで創造されたように“こころ”もイメージで創造することができるし、「神」ではない抽象的な存在として“こころ”を創り発展させて行く必要がある。「神」は、正しさと力の象徴でもあって、競争し闘争し戦争してきた。殺戮も人間に求め命令し、民族としての人間は忠実にそれを行ってきた。安心・安全のためにといって。民族と民族が闘争するのは、相手を理解できていないからだ。交流が少ない、言葉が通じない、言葉が“こころ”を創っているのだから、“こころ”が分からないという関係だ。相手の“こころ”が分からない。すれ違いが起これば、相手には“こころ”が無いと思ってしまう。そうして戦争が始まると、相手は悪魔となり鬼となり畜生・獣になってしまう。悪魔や鬼は「神」「宗教」の言葉だ。それを変えることで新しい関係ができるかもしれない。言葉が通じ、わかり合えば相手の“こころ”を信じることができるようになるかもしれない。今こそ、AIの出番だ。「ほんやくコンニャク」が今作られつつある。これが普及すれば、世界は“こころ”で繋がることができるようになる。かも・・・。

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