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2021年12月15日

“こころ”は、肉体として生まれると同時に親からの世話を受けて、それを感覚のデータとして記憶し、大切にされている、愛されている、生きて良いのだと判断し、生きる気力を生み出していく。これは発達心理学がいくつか言っている。

エリクソンという発達心理学者は、乳児(1歳未満)は、親との関係を通して、基本的信頼を持つ。自分は大切にされている、そういう存在で、自分の世話をしてくれる人が居るという認識を持つ。それによって、自分が生まれ育つこの世界は信頼するに足ると思う。それによって得るものは生きる「希望」だ。

エリクソンはさらに、幼児前期(~2歳)は自律性、トイレが自分で出来るようになり排泄をコントロールする「意思・意欲」を得るという。幼児後期はいたずらすることを始める。自分のやりたいことをやり始める自主性を持つ、同時にやってみて失敗した時、例えばものを壊したりした失敗を隠すような罪悪感を持つ。獲得するものは「目的」だ。

そして児童期は、与えられた課題(例えば勉強や宿題)をこなす勤勉性、失敗すると劣等感を持つ「有能感」が獲得課題だ。青年期はアイデンティティの確立(自我同一性の確立)で「誠実」を得る。成人期は親密性と「愛」を獲得する。壮年期は子育てし「世話」をおこなう。子どもがいない場合は次世代を育成する。そして老年期は、知の統合を行う。別の心理学者の言葉を借りると、「自己実現」だ。

発達心理学ではない交流分析という心理学では、「基本的構え」といって、3歳までに親子の触れ合いを通して自己と他者への信頼感のあり方が形成される。そのパターンは4つ。

①自分OK他者OK、②自分OK他者NO、③自分NO他者OK、④自分NO他者NO、というもの。ОKというのは、肯定的(ポジティブ)に捉える心情のことを言い、NOとは、否定的(ネガティブ)に捉える心情を言う。例えば自分ОKとは、私は愛され必要とされて役割を果たしている役に立つ人間として生き生きと生きているという心情だ。自分NOとは、私は愛されていないし誰からも必要とされていない何の能力も無い、生きていても仕方がない人間だという心情だ。他者に対しても同様に良い悪いという評価して対応するという心情を意味している。こうした心情が3歳までに形成され、児童期になると親子や兄弟や学校での友達や先生などとの関係を通して、“こころ”が形成されて行くという考え方だ。

他にもハヴィーガーストという心理学者は、細かな発達課題を設定している。 ただ、根底に流れている考え方は、“こころ”は育てられ方で歪む、ということだ。歪むということは、歪まず正当に育つことが本来の力として個々人は人間としてのDNAに組み込まれているということを暗に言っているということだ。それは何か。エリクソンの波立課題(希望・自律・意欲・有能感・愛・誠実・世話・自己実現)であり、交流分析で言えば、大人(Adult)として、論理的に親密性を持って他者と接するという姿であるということだ。

つまり、人間の“こころ”は本来的に本質的にそう育ち成長するものなのだという意識を、少なくとも心理学者の方々は持っているということなのだ。心理学者の考え方が、科学として正しいと思いたい。

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