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2021年9月5日

自分がどんな未来を想像するかは、実は自分がどんな環境で育ち、どんな出来事があってどんな刺激を受け反応し、他者から何を言われどう評価されたか、それを自分の中でどう認識として蓄積してきたかによる。

日常的に競争のある環境(社会)で、常に個人の成果に評価が下され続けている場合、

①その評価が自分に対して高評価であり、社会的地位も高水準にあり満足しているならば、そこに立っている自分自身を競争に打ち勝った成功者として認識し、自分の努力と能力を大きく評価し、自分の成長も競争があったおかげで達成できたと考え、そうした競争社会を正当化する。頑張れば人は成長できる。大きな成果も獲得できる。だから一所懸命に自分の能力を発揮するために頑張って努力することが人間として必要だし、成果を生み出した人は賞賛に値する。人は競争の中で磨かれ成長する。うまくいかないのは、努力していないか努力が不足していてすぐに諦めるからだ。こういう人たちは、現社会を肯定し、未来も現代社会と同じ競争社会の延長で描く。全く同じではなく。少しきつくするか、少し和らげるかするくらいだ。

②その評価が低評価であった場合、常にダメな子、何をやってもうまくできない子、もっと努力しなさい、できないのは頑張りが足りないから、と言われ続ける。自分がやりたいことはいつも達成できず、なりたいと思った自分の理想像は実現できず、そんな成果を達成できない自分を肯定できず、不完全な者として認識する。自分でも自分は努力しない頑張れない何事もうまく出来ない情けない者なのだと思う。そんな自分を認め受け入れることができず自己否定の考えが強くなる。生まれ変わりたい!そんな人間が描く未来はどんなものだろうか。未来を描く気力もなくなってしまっているかもしれない。

a自分はダメな人間なんだ。きっと不完全な存在なんだ。生きていても仕方がない。

消えてしまいたい。➡自死

b自暴自棄になって社会や世間に恨みを晴らす、この苦しみを誰かに押し付け自分と同じ苦しみを味わせるために感情を爆発させる。➡犯罪を犯す。

c自分ではどうしようもないので、とにかく逃げるために自死する。自死できない場合は、救いを求めて宗教にはまる。

dこの苦しみを吐き出すために、感情の爆発をスポーツや芸術に発散する。

どう逃げるか。

私たちは往々にしてこうした個人的な悩みと考え方に陥ってしまう。仕方がないことでもある。苦しくてたまらないから、何とかこの苦しみから逃れたいと思うからだ。

これらは、フロイトの精神分析心理学の防衛機能として挙げられているものだ。

心理学で、ようやく神を学ぶのではなく、神を想像し創造した人間の心理・脳を学ぶように人類は進化してきたのだ。こう考えて、一旦自分自身の個人的な苦悩から視点を変えて俯瞰してみる。それが、人類史的な「哲学」だ。

以上

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