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2021年9月7日

妄想だ!理論には反証が必要だと言われている。その論理が間違っているかもしれない、その論理ではまだ捉えられていない事実が隠れているかもしれないという考え方は、物質の運動という側面を擬人化してとらえなおしてみる。

擬人化は、人類の思考の大きな特徴だ。自分の思考の枠を自分自身の肉体的なものとして捉えなおすという考え方だ。偶像はまさに創造物を人体的に表現しなおしたものだ。アンパンマンのキャラクターもそうだし、「刀剣乱舞」もそうだし、最近の考古学では、土偶もフィギアだと言われている。(竹倉史人:『土偶を読む』)

「神」がまさに最高の擬人化された創造物だ。それにまつわる偶像もそうだ。古代エジプトでは、神々の頭は隼や羊や猫やワニだった。そうした動物の持つ力を人間に取り入れ偉大な存在としてあがめた。日本で身近な仏教では、仏そのものが擬人化された存在だ。鬼も邪悪なものの総体として人間的な肉体(頭の位置や2本の手足など)を持って形作られている。

妄想はこれからだ。我々人類は物質運動の発展形態だ。それも今現在の瞬間では最高の発展形態だと認識する。時代が何万年も経てば、おそらく進化によって新しい発展形態は生まれてくるだろうとは思うが、現段階では現代人・ホモサピエンスが最高形態だと言える。そのサピエンスは自分自身が何者かを証明しようとしている、つまり物質の運動とは何なのかを考えて証明しようとしている。その証明が反証可能な仮説を伴って行われようとしている。大きな矛盾・自己否定の可能性を孕みながらの証明をしようとしているのだ。

物質運動の証明。その自己否定の可能性。それは、現代の科学の仮説のひとつの反物質の発見と証明を孕んでいるということなのだろう。ここで、擬人化すると、宇宙の最初、ビッグバンで物質と同時に反物質が誕生した。「無」が、物質と反物質に別れることで宇宙が誕生した。が、その瞬間反物質は何らかの原因で消滅していった。物質の創る宇宙の裏側で反物質の宇宙を形成しているのかもしれない。擬人化はここから始まる。物質と反物質は、生命の性と同じようにお互いを探し求め融合し、再度「無」を創ろうとしているのではないか。物質側から見ると、初期に消えた反物質が自分の存在を忘れるな思い出せ見つけてくれと130億年かけて思い(それは呪いかもしれない)を晴らそうとしているのかもしれない。物質の構造の奥底にその仕掛けがある種の「呪い」として刻まれているのかもしれない。人類の物質運動としての使命はその「呪い」を解くことなのかもしれない。

(おぉ、壮大なファンタジーが生まれそうだ!(笑))

まぁ、哲学はこんな感じで作られるのだろう。自分の創った哲学・世界観・概念を楽しみ、その視点で現在社会や政治を見つめ直し、身近な人たちとのコミュニケーションを行い暮らしていく。人間社会は、その証明のためにどのように発展してきたか。人間の社会史、世界史をこの視点で俯瞰してみよう。まさに徒然なるままに。

以上

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