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2021年9月16日

多様性を考えた時、人間は何を追い求めているのかと考えてみたことがある。

音楽にしろ、絵画にしろ、演劇や、写真、陶芸、など芸術面での多様性や、スポーツなど

「より速く、より高く、より強く」のオリンピックのそれぞれの競技で競うのは、結局何を追い求めているのだろうか?と考え続けていた時があった。

より速くと言ったって、犬や馬やましてやチーターなんかに勝てるわけがないし、より高くと言ったって、トラやピューマや蚤に勝てるわけがないし、強さと言えばライオンや熊や象に勝てるはずもない。

 分かり切ったことなのだけど、何を競っているのか?人間の世界での一番の意味は何があるのか?それは、とてつもなくすごいことで、数億円という褒賞が与えられることなのだろうか?と考えてみた。彼らは何を生み出し、何に褒賞が与えられているのだろうか?

いろいろ考えてみたけど、人間は何ができるのかという問いの解を求めているのだろう

ということに落ち着いた。人間は、生き方が分からず生まれる。他の動物はどれも生き方なんか考えて悩んだりしていない。人間だけが、脳を発達させてきたために、その脳が解を追い求める器官に発達したので、考えてしまう生き物になってしまった。

人間にとって、自分(人間)は何者かという問いの解は、人間の誕生のルーツを突き詰めること、人間は何ができるのかと突き詰めること、人間は何に価値を見い出し、価値を追い求め実現するのか。そういったいくつかの方面の解を統合して、最終的に存在の意味、生きる意味を証明するものなのだろうと思う。

芸術の価値、スポーツの価値、それ以外の分野の価値、は、その考え方のなかで整理すると人間の生きている喜び、今生きていることを良しとする感覚、生きる意欲、これからも人間として生きて行こうという思いの確認、別の言葉で言えば「感動する」ことなんだろう。それは、ドーパミンやセロトニンやオキシトシンやテストステロンやエストロゲンなどと言ったホルモンを分泌することで生まれる。ある意味、言葉を超えたというか言葉以前の生理的真理なのだ。そうしたホルモンによっておこる「生理的感情」を、言葉として理論として整理しようとするのが、前頭葉の働きであり、人間の脳の成長発展の方向性なのだと思う。現代の科学では言葉として表現は出来ないし、証明は出来ないが、将来、いつか必ず人間はそうした生理的感情・衝動をマネジメントする科学を打ち立てるだろうと信じている。(そのためにどれくらいの天才が必要なのかは分からないが、天才を生み出すために社会の生産力を高めていく必要はあると考える。)

結局のところ、人間の可能性の追求、人間はどこまで成長できるのか、ということを多方面にわたって発展させているのだ。  人間は社会を作り出したころに「神」を創造した。それは洗練され、畏れるものから全能の存在に進展した。そして今人間は、その「神」を目指し、全能という存在を目指し、個々ではなく、人間全体として多様性を広げ達成しようとしていると見える。

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