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2021年9月17日

人間の多様性は、自らが「神」になろうという意識が生まれて来たのは、「神」はいない、「神」は我々人間が創りだしたものだということが、科学として、生理学、心理学、脳科学の進歩によって浸透してきたからだ。

心理学や脳科学が未熟な時はまだ神秘的な体験は科学的に証明できないものとして霊の存在、未知なる力、「神」の存在を信じ込む人がほとんどだった。小学生の「こっくりさん」や、心霊写真の存在や、未来予知をする超霊能者を信じていた。みやじいも、大学生になるまでそうした未知な存在を信じていた。

大学生の時、生き方が分からず宗教にはまっていた時、「統一教会」に近づいたことがあった。「統一教会」とは、文鮮明という人間が教祖で、自らを現代のメシア(救世主:キリストの再臨)であり、「原理講論」という経典で、聖書を数理的確率的に分析証明するという考え方で捉えなおして布教するというもので、当時の大学生に広く浸透して行った宗教だ。教えを聞いてみようと思い教会に行った。すると泊りがけで経典の学習をしようということになった。

いきなり、ホワイトボード一杯に数式や確率論を使ってイエス=神の奇跡を証明していった。一旦その論理に入ってしまうと疑うことができないような論理構成をしていた。数学的に神の存在が証明されたから信じるしかないというのが彼らの信仰だった。大学生が陥りやすい考え方(数学的に=科学的に論理構成する)に沿った説明をしていた。

その時、正直やばい!論理では負ける!と思った。でも、何かおかしいと直感したが、

どこがどうおかしいのか分からない。このまま居たら論理的に負けてしまい、正しいと認め入信してしまうと思った。怖さが生まれ、すきを見つけて泊まらず逃げて帰った。

後で、よくよく考えてみたら分かったのは、すごく単純なことで、天地創造の7日間を事実だと認めるかどうかということだった。それを認めると、彼らの論理ですべてが正しくなってしまうのだ。彼らの“そもそも”を疑うことが重要なのだ。この経験からみやじいからは「神」は消えた。(ただ便宜的に困った時の神頼みの神は都合よくその時その時に創る。これは心理的に安定するための方便としての神だ。(笑))

「私は見た!」「私は確かに聞いた!」という超霊能者の言葉は、その霊能者個人にとっては、全く正しいものだと、現代科学は認めている。それは、脳はそうしたものを見たと信じる誤反応をするものだという風に理解し、証明する。幽霊を脳は確かに見てしまう反応をするものなのだと証明されている。(「脳のなかの幽霊」「超常現象の科学」など)

なので、個々人の中にはそれぞれの幽霊が存在し、霊がやどり、「神」が存在しているのだろうと、みやじいは理解している。だれかが、「神様はいます!」と言ったら、その人には「神様」が居るのだろうと、「神」を信じるその人を信じる=承認して会話を続ける。  我々人間は一人ひとり、そのひとによって固有の真実=概念を持っている。と思っている。というところまで、人間の思考は進展してきたのだ。


「みやじいのひとりごと」は今後も不定期に掲載予定です。

次回は閑話休題として、みやじいのふとした気づきについてのお話です。

どうぞお楽しみに!

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