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2021年9月22日

もう少し脱線を続ける。遊びが人類の分化を作ったという考え方をもう少し考えて行こう。

余剰生産物が出来、生きて行くのに時間的ゆとりができた時、人間は「遊び」をしたのだ。

これは人間だけでなく動物も同じだ。特に子供は――自分の食べ物を自ら必死になって探し獲得する必要のない哺乳類は、食べ物は母親の乳なので、それを飲んでお腹が一杯になると、あとは消化吸収のゆったりとした時間を過ごすだけだ。

これは他の動物も同じだ。今でもイヌやネコもライオンなどもその子供たちは、親にちょっかいをだし、子供どうしでじゃれあって遊んでいる。動物たちは、肉食動物もお腹が一杯の時は、昼寝をしたり子供の相手をしたりしている。これは遊びではなくひまつぶしでしかない。サルになると、毛づくろいをし合う。毛づくろいはコミュニケーションのひとつで、サルの一日のかなりの時間を割いているそうだ。クジラやイルカも遊びをよくやってるのが観察されていると言われている。

遊びは、生きる上で不必要であるだけでなく、遊び方、やり方、ルールがきまっているので、知能が高くないと遊ぶことができないと言われている。野生の動物たちは、子供の時に遊びを通して狩りの仕方や体の動かし方を練習して身につけていると言われている。

人間は、大人になるに向けて「脳」の使い方を、遊びを通して学んでいると言えるのであろう。脳の構造は複雑で、行動の原点となっている情動は、どうもホルモンに大きく影響を受けているらしい。

アドレナリンで興奮し、ドーパミンで快楽を感じ、セロトニンで不安を消して、オキシトシンで愛情を育む。と言った簡単なものではなく沢山のホルモンが複雑に絡み合って、情動を生み出し、それを前頭葉でマネジメントして、判断し行動を起こしている。オキシトシンなんかは、自分のこどもや家族など身近な人に対しては優しく絶対大切にし、愛し、守る。が、身近ではない知らない人に対しては強い敵対感を持つ。オキシトシンで愛国心?が強すぎると、敵を見つけて攻撃するようになるのかもしれない(笑)

ポイントは、余剰生産物の存在なのだ。余剰生産物があると生き延びるために必死にならなくていいのだ。自由な時間が生まれるのだ。それが遊びを生みだすのだ。

こんな話がある。のんびり暮らしていた人に、もっと頑張って働いたら、儲かるよ。という人がいた。するとその人が儲けてどうするのだ?と聞いた。沢山もうかると、お金が沢山たまって、遊んで暮らせるようになって、好きなことをやってのんびり暮らせるよ、と言った。すると、その人は、俺は今好きなことをやってのんびり暮らしているよ。といって笑った。

今現代の課題は、生きて行けるだけの余剰生産が、現在の70億人の人が暮らしていけるだけあるかどうかだ。1%人たちが世界の富の半分以上を有している。経済学者がしっかりと計算して欲しいものだ。ここまで書いて、さらにもう少し考えを深めていこうと思った。

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