今、自分が属している会社では、人材の多様性について盛んに言われている。きっと大企業を中心に、日本全体としてそのような流れなのだろう。
この記事では、組織における多様性について考察したい。
「組織における」と修飾したように、ここで言う多様性とは例えば性的マイノリティのような特定の集団を指すものではなく、一般的な人々の中の多様性(いわゆる「個性」)である。
現代社会は変化が激しく、未来が予測しきれない状況にあると言われている。
多くの企業は従来のトップダウン型の働き方を見直し、リーダーを含むチームメンバーが対等に話し合い、進むべき道を導き出す働き方への移行を模索しているように思う。この際期待されるのは、個性や多様な経験を持つ人が独自の観点から意見を出すことであり、したがって企業が求める人材像も多様性を意識したものに変わりつつあるようだ。
しかしながら、自分の主観として、新しい形の組織業務は今のところうまく機能していないように感じる。自分自身、現在の上司から受けている教育・指導が得意を伸ばすものというより、苦手をなんとか克服するようなものに感じ、どこかモヤモヤした気分で過ごしている。また別の話として、いわゆる「仕事ができる」人が管理職に昇進した時、それから求められるスキルは大きく変化する。多様性を謳う割には、新人(若手)には比較的一律的な教育を行い、適性を傍に置いて仕事の出来で管理職を決めるといったことがなされていないだろうか。それはかなり非効率的な考え方だと思う。
(ただし、後者の問題は背景がかなり複雑である。ここで言いたいのはマネジメントが苦手な人材を無理してそれを必要とするポストに置くべきではない、と言う主張である。当然その主張の裏には「仕事を徹底的にやることが求められる」、職人的、プロフェッショナルとしてのポストを用意すべきという主張も含まれている。)
恥ずかしい話、自分はビジネスマナーとか気遣いというものが非常に苦手である。できる人からすればなんでできないの、と思われるような話だが、これは自分にとってはどうにもできない、あるいは全精力を注ぎ込んでようやく一歩改善が見込める程度の話である。
(目上の人がいる場で変に出しゃばりすぎたら、とかその場にそぐわない行動をとってしまったらどうしよう、という不安が非常に強くて何も行動できなくなってしまう)
一方で、AsTobeというサークルを3年近く運営していることからも分かるように、自分はクリエイティブやエンタメの力を信じること、人と人の繋がりによって生まれる力を信じることには少なくとも長けていると思うし、そう信じている。
就活の時から、自分はその角度から誰かに貢献できればと思ってきた。そこに需要があるだろうと信じていたし、実際入社してから「ここには自分のできることがある」と確信した節もある。ただそこに辿り着くにはもう少し常識と経験と実績とやらが必要らしい。
この流れで書くと圧倒的自己弁護でしかないが、今の社会では文字の読み書きレベルの技術を除いては、いわゆる社会人として全員が持つべきスキルなんてものは存在しないと思う。代わりにその人が持つスキルを最大限発揮でき、かつその人の苦手分野が最低限しか露出しないような場所に配置することに心を砕くのである。
一言で言うと、自分みたいな人間は絶対に営業に回してはいけない。(実際、営業配属ではない。)
決して一般的なビジネススキルを軽視する考えではない。ビジネススキルを身につけ、それらを発揮することが得意な人はそうすべきである。
この記事で主張したいのは、各々が得意な領域を企業において必要な業務に当てはめることが、企業や社会の価値の最大化につながるのではないかということである。
分かってはいる。今は従来型の働き方やキャリアシステムから新しいそれらへ変化する過渡期であり、ねじれや矛盾があちこちに発生しているのだろう。
とはいえ、それを多少なりとも解像度を上げた形で指摘すること自体、改善に向けた一定の価値があると考えている。
企業側から積極的に個々の得意分野を業務に活かせるよう働きかけることが、これからの社会を変える一つのきっかけとなるだろう。おそらく業務には「誰にでもできること」もあるが、それが「得意な人」になると限られてくる。まずは業務に対して従業員それぞれの得意分野を当てはめていくことによって、「誰にでもできること」が得意な人の価値も相対的に上がっていくと考える。
そのような企業においては、全ての従業員がプロフェッショナルであり、互いに尊敬し合える関係性が築かれる。
例えば英語が苦手なら、海外向けのプレゼン自体は英語が得意な人にしてもらい、自分は中身を考えるとか、そういう「得意の相互補完」を実現できるような環境が整えば良いと思う。それだけで世の中のストレスは大きく低減するだろう。
これが、私が考える「組織の中の多様性」に関する理想である。
(本記事は玄徳の個人noteとのクロスポストです。)