【世界史B】ほぼ0から独学でセンター8割チャレンジ①【なぜ学ぶ?】
スポンサーリンク

突然ですが「世界史B」と聞いて、皆さんは何を思いますか?

忌々しい、過去の定期テストを思い出すでしょうか。それとも楽しかった思い出でしょうか。はたまた、理系の方や日本史選択の方にとっては「なんか嫌なヤツ」くらいの認識かもしれません。

自分も元々は「なんか嫌なヤツ」派でした。

かつて高校生だった頃、世界史か日本史か、というお決まりの選択において「カタカナより漢字の方が覚えやすそう」という理由で後者を採った記憶があります。

自分は、世界史についてほとんど何も知らなかったのです。

はじめに

げんとくと申します。
2020年に大学を卒業して、今は社会人2年目として働いています。

この度タイトルにある「世界史Bでセンター8割をとる」挑戦を一年半かけて無事達成しました。そこでこの内容と気付きを、学びの記録という意味も含めて書き残していく所存です。

この記事をご覧の方は、おそらくこう思っていることと思います。
「なぜ社会人を目前にして世界史Bを勉強しようと思ったのか?」

また、このような疑問が挙がるかもしれません。

「どのように世界史を学習したのか?」
「働きながらどのような工夫をして学習を継続したのか?」
「世界史を学習して、日々の生活で役に立つのか?」

最終的に、これらの疑問に応えられるような内容を目指していきたいと思います。できる限り丁寧に書きたいので、シリーズ化して少しずつ進める予定です。よろしくお付き合いください。

まずは自分が世界史Bを学ぼうと思ったきっかけを、バックグラウンドを含めご覧いただければと思います。

始める前の自分

勉強が嫌い

冒頭に書いた通り、自分自身は頭から足先まで文系人間で、高校では日本史Bを選択してセンター受験を受けました。確か点数は70点いけたかどうか・・・くらいだったかと思います。当時から歴史は嫌いじゃなかったのですが、「やらなきゃいけない勉強」すなわちほとんど全ての勉強が嫌いな受験生でした。

大学でもそれは変わらず、楽に取れそうな単位を必死にシラバスを読んで探し、講義では寝ているような学生でした。

世界史をほぼ知らない

世界史に触れたことが全くないか、と言われると実はそうでもなく、高校1年生の時に世界史Aの授業がありました。しかし非常に授業の進みが悪く、途中で中世をすっ飛ばしてWW1、WW2の内容に入ってしまうなどかなり大きな穴が空いている状況でした。

加えて高校1年生の時の学習が最後ということで、ほぼ記憶に残ってないということから記事タイトルでは「ほぼ0」にしてあります。

まとめると、勉強好きなわけでも、もともと世界史をみっちり学んでいたわけでもないということです。

なぜ世界史を学ぶ?

社会学というきっかけ

さて、そんな自分がどのようにして学びに足を踏み入れたかということですが、一つには大学で専攻した「社会学」の存在があります。

社会学とはその名の通り「社会」について研究する、もう少し噛み砕いて言うとさまざまな「社会」を明らかにしていく学問なのですが、その「社会」について考える中で歴史の知識が不可欠であると感じたのです。

Tips

参考までに社会学とは何かということについて、その定義を一部引用して紹介します。

"社会学は、調査とデータをふまえて社会の現実を理論的に理解しながら説明しようとする科学です。このような知識をもつことで、より社会を深く理解しながら、社会を変えていくための手立てを広く提案することが可能になります。"

https://jss-sociology.org/school/voyage1/ 
「一般社団法人日本社会学会 社会学への誘い 社会学の定義」より

社会には様々な問題が起こり、それらについて先人が検討してきた内容を講義で学ぶことになるわけですが、ここには世界史が大きく関わってきます。

一例を挙げると、社会学における基本的な理論の中に世界史の要素が多分に含まれています。社会学は近代ヨーロッパで生まれたもので、当時の社会問題を解決すべく先人たちが考え出してきた社会システムに関する理論がその基礎となります。すなわち、近代ヨーロッパの当時の社会状況に関する事前知識があると、理解する上でかなり有利になるということです。

社会学をきちんとやるのであれば、世界史B程度の理解は必須ではないかと思うくらい重要だ、と今となっては思います。

他にも人文系のあらゆる分野において、高校世界史の知識が出てくるような感覚がありました。大学で講義などを受ける中で感じたことを「学び直し」に活かそうと思ったのです。

理想の大人像

この話は以前の記事でも書いているのですが、大学卒業が近づく中で「こんな大人になりたい」という理想像が出来てきました。

それは簡単に言うと「知識があって自分の頭で様々なことを深く考えられる大人」です。文字として書くのも読むのも簡単ですが、自らが実践し実現すると思うと途端に困難に思えます。

自分の傾向としては、動画を作ったり、書いたり、喋ったものを録音したりとアウトプットは好きでよくやっていたのですが、勉強や読書などインプットが苦手なところがありました。これでは「自分の頭で深く考える」ための大前提である知識が足りない。だから学ぶ必要があるな、と思い始めました。

ちなみに、この「理想の大人」の1人こそ、このサイトで一際異彩を放つ連載を続けている「みやじい」その人だったりします。

執筆当時最新の「みやじいのひとりごと」を貼っておきますので、ぜひ読んでみてください。社会学専攻としては割とたまらない内容です。示唆に富みます。

最初に何を学ぶか?

学ぶと決めたはいいものの、問題は「何を学ぶか」です。

決意を固めた上で振り返ると、自分には学ぶべきことがたくさんありました。これまでの不真面目な学習の姿勢から見て当然のことでした。

ここで自分の指針になったのが、前述の社会学でした。社会学を学びたい。けれども今の自分では知識量からして太刀打ちできないだろうと感じていました。そこでまずは社会学の理解の基礎となりうる、世界史を勉強しようと決めたのです。

だから本当のことを言うと、学びたいこと自体は他にもたくさんあります。例えば、人文系なら社会学はもちろん、地理や現代文、苦手意識の塊だった英語にも最近少しだけ興味が出てきました。社会を深く知ると言う意味では経済学の学習も必要だろうと最近は思います。理系分野なら苦手な数学を中学レベルからやり直したい思いもありますし、少しプログラミングをかじっているのでそれに関連した学習をやってみたいです。

挙げればキリがないですが、その中で最初に何を学ぶかという難題に、熱が冷める前に答えが出せたことは大きかったなと思います。「最初に学ぶべきもの」を決定づける自らの指針の大切さを感じます。

「やりたい」から始まる独学

こうして、理想を追うために始めた勉強は、大学でのそれとは違い一年半以上もたった今も続いています。それはなぜか。

答えは単純で、楽しかったからです。この時、自分にとって「何かに強いられる学び」が苦手なのだと気づきました。

自分のやり方で、ペースで勉強できることはもちろん、自らの「やりたい」という素直な気持ちに従って行えることが大きかったです。逆に言えば「やりたくない」時に無理をする必要は一切ないということです。

これは自分にとって初めての「独学」への第一歩だったのですが、全てが自由で、期間に縛りのない学びが、自分には合っていたようです。

とはいえ、本当に何の縛りも設けないのはだらけてしまうだろうということで「世界史Bでセンター8割」という目標を掲げました。期間はざっくり一年くらいでいけるかな〜とふんわり考えるに留めました。お察しの通り、その適当さのせいで半年以上の遅れを出してしまうのですが・・・。それでも自分さえ許せばお咎めも、焦る理由もないということが、独学の良さを象徴しているように思います。

終わりに

まだ何も勉強が始まることなく、今回の記事が終わりに近づいてきました。

それでも、この内容は非常に重要な内容を含んでいるかなと思います。

「人はなぜ(主体的に)学ぶのか?」という問いについて、自分自身それまでできていなかったからこそ、それを書き残したいと強く思いました。

自分は、学びとは一生続くものであり、世界を広げ、生き方を自由に、楽にしてくれるものだと思います。

世の中には、この年でわざわざ社会学を、世界史Bを学び始める意味がわからない方がいらっしゃると思います。意味がそれとなく分かっても、どうしたらできるのか見当もつかない方がいらっしゃると思います。

だからこそ学ぶ意味を、方法を自分の言葉で説明できるようになっていきたいと思っています。

次回は勉強編です。手探りの中で失敗した話なども含めていろいろ書きたいと思っています。

センター8割に向けて、自分が最も頼りにした勉強法は一体何か、お楽しみに!

スポンサーリンク

Twitterでフォローしよう

オススメ記事