みやじいのひとりごと7「社会史への妄想」
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「みやじいのひとりごと」はAsTobe最年長(67歳!)メンバーのみやじいが、日々考えたことをつらつらと書き綴るエッセイです。

第7回のテーマは、「社会史」

みやじいはこれからを生きていく人々についても思いを巡らせます。

それでは、本文に入ります。

みやじいのひとりごと7「社会史への妄想」

2021年9月10日

人間の歴史・社会史のひとつの見方は、人びとがどうやって生きるための「富(生産物)」を生み出してきたかという視点がある。いわゆる衣食住と言われている、食べ物、住まい、寒さを防ぐ衣料を、何を中心に作り出してきたかといことだ。

集団の人数がそれほど多くなく、生産性(技術力:工作機器の製造・それらを作り出すスキル・原材料の調達など)が低い段階では、それこそ集団の一人ひとりが協力して必要なものを必要な分だけ作ってきた。

「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」という、生協のスローガンが生きている社会だと言える。「自然の弁証法」を書いたエンゲルスが、「家族・私有財産・国家の起源」という本で、「原始共産制」という言葉で表現している。

この言葉は、ラグビーのチームワークを表現するスローガンでもある。調べてみると、生命保険の仕組みを作り出した時に、相互扶助の精神を表すものとして掲げられたとのこと。デュマの小説「三銃士」のダルタニアンの誓いの言葉として出てくる。古代ゲルマン人の言い伝えだったという説がある。

それが、生産力が上がってきて必要以上に多くの生産物を作り出せて来ると、それらを蓄え「富」とした。「富」は「神」に捧げられ、それでも余ると神官たちがそれを管理した。「富」は当初は集団のものだったのだろうが、貢いでも余るように増加すると、残った貢物を目の前にして、自らが自由に処分したいという気持ちが神官たちに生まれてきたのだろう。貢物は少しずつ神官達の所有となり、集団のものイコール神官のものという風に、意識の中で「富」が所属する区別がなくなった。

貢物の所有者の抽象的イメージとしての「神」は、具体的存在の神官が「王」となった。王は神と直接つながっていると「物語」がつくられた。

日本の天皇も、地方の大王として神に豊作を祈り占っていた、戦を起こし他方を侵略し「統一」すると、自らは神々の子孫であるという「物語」を編纂した。古事記と日本書紀である。そして科学の発達した現在でも、現天皇は神事として神々に米の豊作を祈って、神々と食事を共にしている。国家予算を使って。70数年前までは「国体」と言われていた信仰の姿が残っているのだ。これはこれで、世界に誇る歴史的文化遺産として見るのが科学的な見方だろうと思う。

神官や王や天皇といった存在は序列を作る。「神」にどれだけ近いかを表すものだ。序列を作り出し、人びとを区分けし、役割と権力と「富」を上から順番に与えていく。配分する「富」が足らなくなると、収奪を行い、「富」を与えない人を作り出し差別した。奴隷・エタ・非人と言われる人々だ。そういう存在を作り出すことで、一般人々にそうした存在に落ち込んでいかないようにしなければならないという頑張りと、落ち込んでいく恐怖、今自分はそうした存在ではないという安堵、そうした複雑な感情と価値観を持たせた。 序列があることを認める考え方は、差別を生み出し、大きなストレスを生み出す。

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