私と知的生産の出会い【げんとくの文集2021 #1】
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この文章は、2021年度AsTobe文集より一部を抜粋したものです。

「文集って何?」という人はこちらへ!

今回はげんとくの文集から一部を抜粋してお送りします!

”書くこと”

あとひとつ書いておきたいのは、今まさに行っている「書くこと」についてである。

ご存知の通り、2021年に外部サイトがオープンしてから、自分は複数の記事をそこに向けて書いてきた。その中で、これまで必要に迫られて、あるいは気分が乗って、というくらいの気持ちでやってきた「書くこと」について、もう少し真剣に向き合ってみたいと思ったのである。

昨年に知った『独学大全』の関連で、今年は『すべてはノートからはじまる(以下『すべノー』)』とその著者である倉下忠憲さんを知り、強く影響を受けることになった。倉下さんは「現代の知的生産」について複数の著作を持つ人物である。倉下さん執筆の記事(https://cyblog.jp/2888)にある引用を孫引きすると、「知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら──情報──を、ひとにわかるかたちで提出することなのだ(『知的生産の技術』p9)」『すべノー』においては、知的生産の手段、コツ、ライフハックを紹介する書籍であり、その主題は見て分かる通り「ノートを活用した記録」である。なお、ここでの「ノート」は英語で言う”notebook”はもちろん、手帳やスマホのメモアプリ、ブログなどあらゆる「記録媒体」を指す。

自分が注目しているのは、知的生産とたびサポとの共通性である。たびサポは大学生のキャリア育成プログラムとして学び合いの場を持つが、その活動の中で様々な「気付き」を記録し、班内対話などの場で共有する流れがある。その際推奨されている気付きメモの存在は、『すべノー』におけるノートの定義ともまさしく一致している。また、たびサポにおいては気付きメモの内容をアウトプットする中で整理されるような繋がりがあったが、『すべノー』においても主にインターネットに向けて広く発信することを推奨している。ここでの共通点は人に伝えようとする試みを通して自分自身の理解度が向上するという点だ。自分自身、興味がある分野において語る相手がいないということはよくあるし、それを記事として誰かに見せる意識で書ける場があることはありがたいことだと思った。書くことは結構な苦労を伴う。まずは自分のために書いて、せっかくならそれが誰かのためにもなれば良いと思う。

また、知的生産の技術に少しずつ慣れていくことで外部サイトを通して個人的に大きな可能性になるのではないかと感じており、これをAsTobeの中で共有していきたいという考えもある。これは今後ポータル記事にもしていきたい。

そういうわけで、今年自分が外部サイトに向けて書いた記事は以上のことを念頭に、丁寧かつわかりやすい文章を心がけた。それでも文章がどうしても多くなってしまったり、構成のような読みやすさについても課題が多いが、幸いにもそれと同じくらい記事として書きたいテーマ、ネタも多い。なので来年はこの点成長できるように執筆を続けていきたいと考えている。

「書くこととは考えることである」という文章を見かけた。書いては消しを繰り返すこと、文章の構成を考えてみること、書くことが思いつかず途方に暮れること。どれも苦しく、辛い時もあるが、今はその全てが「考えること」に繋がっており、それらのひとつひとつが自らにプラスに働くことだと思える。この文集の機会も、そういった見方で意義を説明できるようになってきた。

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