本文の前に
この文章は、げんとくの2020年度文集を何回かに分けて投稿する、第一回です。
(本記事で公開するにあたって一部変更点があります)
「文集って何?」という方はこちらへ!
第一回は「1,始めに」「2,憧れと志と」を掲載します。
特に後者では、自身の尊敬する大人が誰なのか、それはどんな人なのか、それに影響を受けて自分はどんな行動をしたのか、ということを書いておりますので、ぜひご覧ください!
1,始めに
2020年は、それはまあ一言で言い表しにくい一年になった。きっとみんなそうだと思う。
あえて言うなら「大変な一年だった」の一言に尽きるだろうが、その「大変」の中身は、人それぞれみんな違うだろう。
反対に、今年は社会の枠組みというか、例えるならゲームのルールが変わるかのような変化、そしてそれに伴う生活の変化があったと思う。それは前述したような「大変さ」だけではなく、人それぞれ好意的な変化もあったはずだ。
こうした認識を前提に、自身の一年をある程度網羅的に振り返りたいと思う。自分にしては珍しく長文になりそうな気がするので、そこは先に断っておきたい。人と直接長話をする機会に乏しい現在(と近未来)、自分にとって様々な出来事があったこの一年を、今ここでアウトプットしておかねば記憶も薄れてしまうと思ったからだ。なので備忘録的な意味合いを多分に含んでいる。
2,憧れと志と
自分にとっての2020年は、学生としての3ヶ月と新社会人としての9ヶ月によって構成される。前者について思い出されるのは「憧れの大人」に関する出来事と、その憧れに向かうための志についてだった。
自分が宮下さんへのリスペクトを相当に強く抱いているのはご存知の方も多いと思うが、その「尊敬する大人リスト」に二番目として新しく追加された人物が、ゼミ及び卒論執筆にてお世話になった先生だった。
その先生の特徴としては、学生への上からでも横からでもない絶妙な関わり方や単純な「優しさ」というものは言うまでもなく、ゼミでもどこでも頭の引き出しが開けば喋りだすところ、そしてそこから出てくる話題にグルメ関係、特にスイーツについて語ることが非常に多いところだ。
一般に(といっても自分世代に周りから聞いた話だが)、その先生は厳しいと言われていた。それは他ゼミより卒論のハードルが高い、つまりクオリティの高い卒論を求められることにあるようだが、はっきり言えばむしろ他ゼミがぬるすぎると言うのが実際のところである。それに先生は学生に無理難題を押し付けることは決してしない。学生の興味を引き出し、それを研究者の視点から「ずぶの素人」である自分たちに適度な加工を施して論文として形にするための道筋を示してくれる。少しでも気になることがあれば必ず時間をとって相談に乗ってくれる。そして、研究において最も重要になるようなポイントは必ず学生に考えさせる。
すなわち、先生は宮下さんとはまた少し違った形で、「サポート」のプロとして仕事をしている人物だと言える。
というのも、その先生は元々教師を目指しており、挫折の上研究者の道に進んだ経緯がある。そのため自身の学部の中でも他ゼミの指導教員に比べて学生の教育への意識は相当に高い、と言うのが自分の主観だ。
先生への尊敬と憧れの気持ちが高まる中で気づいたのは、自分の憧れる「大人」像だった。それまで宮下さんだけが憧れだった自分にとって、宮下さんのどこに憧れるのかを言語化するのは難しかった。しかし先生がそこに加わることによって、二人の共通項が自分の「なりたい姿」なのだとイメージを掴むことができるようになった。これは大きな気づきだった。
3月16日、先生と宮下さんの対談企画を行った。先生にはお忙しいだろうとダメ元で頼んだのに拍子抜けするくらいに簡単に話は進んだ。そんなところも似ているなと思った。
「社会学者としての自分の立場と、実際に教育に携わる宮下さんの立場の違いから、意見がぶつかることがあるかもしれない」というようなことを事前に先生が話していた記憶がある。確かに細かいところでの意見の相違は避けられないだろうが、少なくとも対談の場ではむしろ両者の考えは一致に近いもので、終始和やかなムードだった。
宮下さんも興味関心、意見、年のこれら全てが近い人と話す機会は少なかったようで(といっても年に関しては先生がかなり年下である)、喜んでいたと思う。自分含め参加者がみんな満足できる場が作れて嬉しかった。
その時の動画が今も残っている。二度とないかもしれない対談だったからこそ、様々な視点で重要なものになるだろう。ひとまずは来年の春あたり、もう一度聞いてみたい。
志については簡単に。1月ごろから世界史の受験勉強を人知れず始めた。目標はセンター試験で一度でも8割をマークすること。途中でやめてしまうと恥ずかしいので親しい人以外伏せていたが、幸いにも勉強は今でも続いており、「やらなきゃ落ち着かない」という軽くキマッた状態になったので最近人に言うようにもなった。
突然にも思える志の理由は、先に述べたお二人の共通項の一つである「深い知識量」に影響されたものだ。
知識の無さというのは、昔からアウトプット中心でインプットから逃げてきた自分にとって、ちょっとしたコンプレックスとも言えるようなものだった。しかしお二人の言葉から「経験」と「知識」そして「思考力」の三要素が必要なのだということを強く感じた。そのことが今も自分を動かしている、とまでは言わないが、志すきっかけになったことは間違いない。
元々知的好奇心というか、知的欲求はあったのだと思う。いやそれもお二人に刺激されただけかもしれないが。ともかく自分が世界史を選んだのは、それを知ることでその先にある様々な知の扉を開ける鍵が、もしくはそのかけらが手に入るような気がしたからだ。
高校では日本史専攻だったので世界史はほぼ知らないまま生きてきた。それを知識として持つことで、政治でも創作でも自分が反応できる「アンテナ」が強化されると考えた。つまり今後興味関心を持てるものを増やすために最適だと思ったからだ。加えて歴史の動きとしてその時代の人が何を考えてきたのか知ること自体好きだったのもある。
この一年で大体半分程度学習を進めることができた。元々は一年でセンター8割とか考えていたので一年経ってもバカはバカだと思わずにはいられない。他にもやりたいことがたくさんある中で2年以上世界史に投じるのは少し迷いが生じる。でもなんとかして完遂したい。こんなにも自分が長期間かけて、一つの学びに集中するのは生まれて初めてのことだからだ。
※本記事はAsTobe 2020年度文集『STAND』より一部修正したものを掲載しています。