どうも、げんとくです。
今回の記事は、タイトルの通りです。
以下の動画の一部をダイジェスト形式でお送りします。
「暇と退屈の倫理学」とは
暇とは何か。人間はいつから退屈しているのだろうか。
答えに辿り着けない人生の問いと対峙するとき、哲学は大きな助けとなる。著者の導きでスピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど先人たちの叡智を読み解けば、知の樹海で思索する喜びを発見するだろう。
(Amazon出版社紹介より)
一言でいうと、「暇と退屈」について考えることを通して私たちがより良く生きるための方法を明らかにしようという本です。
著者の國分功一郎さんは哲学者ということで、誰でも気楽に読めるような文章ではありません。とはいえ哲学を扱う書籍としては比較的易しく、入門書に分類されるものと思います。
登場人物
大学では日本史を専攻するも、生きる意味、目的に悩んだことから宗教や哲学を独学に至った。AsTobeではコラム「みやじいのひとりごと」にて独自の思想、人間観を披露している。
大学では社会学ゼミを専攻、現在は社会人3年目の一般人。
最近「自分はなんのために生きていて、仕事はなんのためにあるのだろう」と思ったことをきっかけに哲学関連の本を読み始める。
「ガチャ」で見る若者の”暇なき”退屈
げんとく
自分は、この本に出てくる「暇なき退屈」という言葉が現代人を言い表した言葉だと思っていて。
「暇なき退屈」というのは、要はのんびりする時間っていうものは全くないにもかかわらず、忙しい日々の中で、どこかつまらないな、面白くないなっていうことを感じながら生きている、ということだと理解しています。
「暇なき退屈」というのは、要はのんびりする時間っていうものは全くないにもかかわらず、忙しい日々の中で、どこかつまらないな、面白くないなっていうことを感じながら生きている、ということだと理解しています。
げんとく
それを聞いたときに自分はこう、何かびびっとくるものがあったんですけど、みやじい的にはどうでしたか。
みやじい
若いときはね本当に何をやったらいいかわかんない。だからそういうもどかしさっていうのは感じてたよね。
げんとく
なるほど。みやじいの感覚として、ということですか。
みやじい
そうそう。
げんとく
やっぱり今の社会、今の若い人となると、例えばソーシャルゲームとかが代表例だと思うんですよ。
げんとく
みやじいはあんまりピンとこないかもしれないですけど、ガチャって聞いたことありますか?
みやじい
え、何それガチャって。
げんとく
例えばゲームのアイテムとか、ドラクエでいえば装備とか、そういうものをお金を払ってガチャを回して手に入れるんですよ。
0.05%でメタルキングの剣みたいな。
0.05%でメタルキングの剣みたいな。
げんとく
そういう感じで良い武器をを得ようと思ったら、たくさんお金使ってガチャを回してね、みたいなシステムがRPG に限らず、いろんなゲームであって、それが今のソーシャルゲームのメインの課金携帯で、収入源になってるんですよね。
みやじい
はいはい。
げんとく
ソーシャルゲームっていうもの自体が、すきま時間にポチポチと作業みたいな感じで遊ぶ感じになりがちですし、自分が感じるところでは「忙しすぎてお金使うところがないんです」みたいな人がいるんですよ。
みやじい
ほう。
げんとく
そういう忙しい人もすきま時間にスマホゲームはやってると。
スマホだからすぐ手元にあるし、お金を使う先がすぐそこにある、となるとそこにお金を使っちゃう、ガチャを回しちゃうっていうような形で。
スマホだからすぐ手元にあるし、お金を使う先がすぐそこにある、となるとそこにお金を使っちゃう、ガチャを回しちゃうっていうような形で。
みやじい
なるほど。
げんとく
で、結構やっぱりねガチャにはまっちゃうと、月何万とか何十万みたいな人もいたりする。
そういう話がすごく「暇なき退屈」と自分はこう結びついてくるなって感じたりするんですよね。
そういう話がすごく「暇なき退屈」と自分はこう結びついてくるなって感じたりするんですよね。
みやじい
うんそうだね。
げんとく
なんかすごく乾いた感じがしませんか?
ソーシャルゲームに批判的になってるわけじゃないんだけど、ただでさえあまり時間がない中で、時間をスマホゲームに取られていくっていう生き方にすごく乾いたもの、つまり退屈っていうのを感じるんですよね。
ソーシャルゲームに批判的になってるわけじゃないんだけど、ただでさえあまり時間がない中で、時間をスマホゲームに取られていくっていう生き方にすごく乾いたもの、つまり退屈っていうのを感じるんですよね。
(次ページに続きます)
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