名作漫画「SKET DANCE」から考えるサポートとは
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ジョンソンです。

皆さん、SKET DANCEという漫画をご存知でしょうか? 2007年から2013年まで週刊少年ジャンプで連載されていた学園コメディです。開明学園という高校を舞台に学園生活支援部、通称スケット団の三人が個性的な依頼人の悩みを解決していくという学園コメディです。

連載当時僕は中学生だったので、設定上年上の主人公たちの愉快な学園生活を眩しく思いながら楽しんでいたのですが、高校を卒業して彼らの年齢を追い越し、大学で色々揉まれた今でも、いや、今だからこそ唸らされる部分が多々あります。

その中でも僕が一番好きなのは、作品の最終章で主人公のボッスンが「あなたにとっての人助けとは何か」を問われたときの言葉

(人助けとは)理解者になること

乗り越えることは変わることじゃなくていい

その人が今いる位置を認めて

愛しいと思えるように

背中を押すこと

「SKET DANCE」第32巻より引用

です。

これを自己受容とかと絡めて考えるとまた良いんだと思いますが、僕はそういうのを本格的に学んだことはないので、安易な解説はやめておきます。

特に二行目が良いなあと思っていて、なぜかと言うと、人は「○○できるようになれ」とか、「××はやめろ」とか変わることを強要される機会が色々あると思うんですよね。でもそれって本当に正しいのでしょうか? ルールなんて場所によって、時代によって違うものだと思うのですが。

僕が昔関わった人で、自分の感じたことをあまりにそのまま人に伝えたり、他の人の話を聴かなかったりするので、周りの雰囲気を気まずくさせる人がいました。その姿を見て、僕は「絶対に君は変わった方が良い!これこれこうなるべきだ!」と、伝えはしませんでしたが、心の中で思っていました。彼に自分自身についてどう思っているかを聞くと、彼は「別に変わる必要はないと思っている」と答えました。

今思えば、伝えなくて良かったなと思います。それを伝えることは、(もちろん伝え方次第でしょうが)まずそのときの彼自身の在り方の否定に繋がるおそれがあったと思うからです。伝えるにしても、「これこれこうだから僕は君と話しにくい」みたいな伝え方でしょうか。多分当時の僕はこういう伝え方を身につけていなかったので、いたずらに彼を傷つけることがなくて良かったと思います。

そんな彼は失恋を経てちょっとは変わる必要もあるかと思い直したりしなかったりしたみたいですがそれはまた別の話。

「自分は○○だから嫌だ」という人に対して、「だったら××になれば?」と言うのは簡単です。また、自分から見て「○○だから良くない」と感じる人に対して「もっと××になれば良いよ」と言うのも簡単です。

でもSKET DANCEでは(キャラクターの個性によるボケに対してツッコミますが)変わることを強要しません。自分のもつ個性のせいで学校生活が上手くいかない、といった悩みを抱えるキャラクターが登場する話も、最終的には個性を活かして何かができるようになったり、自分を受け入れたりすることで解決するという流れを一貫しています。

依頼人の悩みを解決するのはその依頼人自身であり、主人公たちが助けることはほとんどありません。そのため、主人公たちは自分たちを「何もしていない」と自嘲しますが、スケット団の面々は依頼人の悩みを受け止め、素直に感じたことを伝え、励ましを与えている。これは立派なサポートだと思います。

SKET DANCEはただのコメディに見えて意外に深いところもあるのかなと感じました。また時間があれば読み返したいと思います。文庫版もあるようなので、未読の方はぜひ。

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