再会とこれから【げんとくの文集2020その5】
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本文の前に

この文章は、げんとくの2020年度文集を何回かに分けて投稿する、第3回です。
(本記事で公開するにあたって一部変更点があります)

「文集って何?」という方はこちらへ!

第5回は3章の「増えていく」より「3-6,ハロー クリスマス」「3-7,解離性障害における経験による私見」を掲載します。
今回は劇的な別れのその後を書いています。

3-6,ハロー クリスマス

 確かに、これで人格絡みの話が完結したのであれば、エロゲらしいエンディングとして申し分なかっただろう。

 しかし、これに続編があったとしたらどうだろうか。

 その日も、始まりはますだ母からの電話だった。日時はクリスマスイブ。

 やはりというかなんというか、東京に来てしまったらしい。もちろん無意識で。

 今までの流れから考えて、一度統合した人格が再び解離を起こしたと考えざるを得ない。ひとまず大急ぎで東京に向かった。

 その日に、二つの人格に出会った。

 まずは東京に来たと言う人格。前の逃避人格と違って落ち着いているし、少しずつだが会話もできた。会う機会は最初の一度だけだったのであまり話が聞けていない。

 そして、もう一人が・・・どこかで見たような人格だった。

 子どもっぽい、少し舌足らずな話し方に、他の人格には一人も見なかったきさくな雰囲気。その時は疑わしいくらいにしか思っていなかった。目の前の人格に記憶について尋ねても覚えてないとも言っていたので。

 しかし、添い寝しながら話していると、その人格は「メガネ」「メガネかけてる姿がしっくりくる気がする」と言い出した。自分はその人格が出てきた時からずっとメガネを外した状態だったのに、である。

 確信を得た自分は、以前彼女にしたように後頭部を撫でた。あの人は本人格よろしく「よしよし」されるのが好きだった。

 しばらくして、自分の名前が呼ばれた。呼び方もバッチリ、正しかった。

 ごはんが、帰ってきた。

 ここまでが解離性障害、及びそれに伴う人格たちと自分のやりとりを記した内容である。人格の出現は本人のストレス等と密接に結びつくため、その背景を全て書くことはできないが、雰囲気だけでも感じてもらえたんじゃないだろうか。

 ちなみにごはんが帰ってきてからは数日ますだ(とごはん)と過ごし、その後体調の悪化を見て帰ることになった。これを書いている年末年始はぼっちホテル住まいである。

 本当は11月の件でめでたしめでたしと書くつもりが、また渦中に戻ってしまった。ますだのため、そして自分のために、引き続きできることをやっていきたい。

3-7,解離性障害における経験による私見

 解離性障害及びそれに伴う多重人格症状は、当事者の過度なストレスに対応するために現れる、というのが私見である。

 ここまでにいくつか言及した、「入れ替わり」に関する都合の良さがそう考える理由だ。解離性障害の辛さの一つに、「1日が24時間未満になる」ことが挙げられるが、それ自体非常に都合が悪いことであるのに、ここで入れ替わると本当に危険、みたいなところでは決して入れ替わらない。

 やはりこれは、「1日が24時間未満」であることが、無意識的に都合が良いと思えるような精神状態であると解釈するべきではないか。つまり解離性障害の実態は、それ自体が現実のストレスからの逃避行動なのではないだろうか。

 そう考えると、「どっか行っちゃう人格」の出現も比較的簡単に説明がつく。解離症状が続いてもストレスが蓄積される場合、強硬手段として別人格によるある意味で強制のような、ある意味で無意識的な自意識による移動が実現されると考えるのである。

 まあ実際のところ解離症状によるストレスも相当なようにも思えるが・・・。当然、自分の経験以外に何のエビデンスを持たない自分には真実を掴むことはできない。

 もう一つ、これも経験による推測に過ぎないが、「生まれてくる」人格たちはみな本人格の一部からできていると思う。

 例えばごはんの、名前の通り「食べる」という行為は一見ますだから遠く感じるが、ますだは中学生の頃からストレスによる多量の食事を行うことがあり、それが発生源ではないかと睨んでいる。

 おねえさんの薬の大量投与についても、類似行為が過去にあったことを前から確認済みだし、逃避人格は酒に走ることがあった。どれも自分と付き合う前後くらいから、ますだがやめたストレス発散行動である。

 それに気づいた時、自分の役割はそれぞれの人格に寄り添うことだと思った。あるストレス発散行動をやめさせたいなら、代わりのストレス発散行動を用意するしかない。孤独な人格たちにとって、それを用意するサポートができるのは自分自身だろうと思った。そうして自分はますだとその中に住む人格たちを、まとめてサポートしていくことに決めた。

 まあ、正直な話をすると、それだけの気持ちで彼ら彼女らとやりとりを続けたわけではない。純粋に楽しかったのだ。事実は小説より、とはいうが、まさに今年の自分のためにあるような言葉に思える。確かに、遠距離で数少ない面会時間が減ってしまう寂しさもあった。でもそれ以上に不思議で、興味深い経験ができた。解離性障害について自分なりの考察を重ねるべく、いろんなことを質問するのが楽しかった。人格たちがますだの一部なのだとすれば、一気にますだのいろんな一面が見られるようで嬉しくもあった。

 そんなこんなで、この一連の出来事に関しては大変だったことは事実だが、同時に楽しかったこともまた譲れない事実だ。今は、ますだと「あの頃はすごい経験をしたね」と笑い合える未来を望んでいる。それは必ず訪れるとは限らないことは分かっている。しかし、ますだと自分がそれを望む限り、自分もできることを続けたいと、ただそう思う。

注意

※本記事はAsTobe 2020年度文集『STAND』より一部修正したものを掲載しています。

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