2021年11月04日
「人は、どうやって変わっていくか」が新しい問いとなった。
「どうやって変わるか」の問いの前に、人は変われるのか?「三つ子の魂百まで」と言われているように人は変わらない、のかを考える必要があると思う。
人間は変われる。これは動物としての人類というくくりで捉えると確かに変わってきた。二本足で直立して歩く、親指と他の指の指先を合わせることができる手になった、しっぽが無くなった、盲腸も退化した、体毛も無くなった、何よりも脳が大きくなった、言葉を話すようになった、火を使い、物を創り出して自然の中で暮らすのではなく人間が創った物と、人間同士の関係(生産物の交換による生存と更なる生産力の向上)の中で暮らすようになった。男女の関係も変わった。発情期が消え常に発情している状態になった。
人間は長期的に、だがだんだんテンポが速くなり変化してきた。言葉は文字の発明によって目に見えるようになり、石や木に書くようになり、時間を超えてコミュニケーションが出来、書かれた木を持って移動することで空間的に広がりを持つことができるようになった。さらに紙が出来、印刷製本ができると、人数的に拡大できるようになった。レコードができると声そのものが言葉と同様に時空を超えて広がった。音楽は感情を言葉を介することなく届けることができるようになった。電信は距離によって生じていた伝達時間をほとんどゼロにした。電波はその広がりを無限にした。
印刷技術の進化は、文字だけでなく映像(写真)をまた絵画を広げ一般化(情報化)し、映画は動き情報化した。パソコンは思考を情報化した。・・・話が脱線気味になった。
人は、社会を作り、社会を変化発展させることでコミュニケーションの形を変え、行動を変えた。現代人は縄文人や弥生人とは異なる感覚と行動をしている。古代ローマ人は大きな競技場を作り、そこで人間と猛獣を戦わせたり、人間同士の殺し合いを娯楽として楽しんでいた。現代人はそんなものを楽しみとは出来ない感性になっている。
(と書いてみたが、ゲームや映画や、ネット配信のドラマでは、人が人を殺す映像が創られそれをお金を払って楽しんでいる人も多くいることを思い出した。・・・人は残念ながら変わらないのか。と思ってしまった。・・・いや、その人間の構成比率は格段に少なくなっているはずだ。誰か調べてみて欲しいなぁ・・・戦争に参加した兵士が帰還して、精神に異常をきたしてPTSDなどになっているという情報は多数聞く。血を流して人が目の前で死んで行くという経験は日常の世界ではほとんどなくなった。感性が違う人間になった、つまり変化したのだと思う。わずか、100年も経たずに。日本人にとって戦争は76年前に終わった。その後は、台風や地震や津波といった自然災害があった。時々無差別殺人やストーカー殺人、心中という死に合い殺し合いがある、大量の武器を使っての殺し合いは無くなったという世界だ。)
ハビトゥス、環境が人間の感性を形作る。社会が変われば感性は変わる。感性が変われば行動が変わる。行動が変わるというのは、別の存在になるということだ。