みやじいのひとりごと17「こころの妄想Ⅱ」
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「みやじいのひとりごと」はAsTobe最年長(67歳!)メンバーのみやじいが、日々考えたことをつらつらと書き綴るエッセイです。

第17回のテーマは、「こころ」。

それでは、本文に入ります。

みやじいのひとりごと17「こころの妄想Ⅱ」

2021年11月26日

“こころ”は、「平和ボケ」して繊細になった。

その繊細さは、「神」を創、刺激に直接的に反応するという即応性を抑え、不安の感情を創り認識し、その不安を解消するために「神」を創って、外界化(自分の意識・感情の外に置くこと)し、その「神」と対峙することで“こころ”を発展させて来た。「神」の“気持ち”を慮り、想像し、怒りを抑えて喜んでもらうように崇める感情を創りだし、それを人間同士の中にも持ち込んできた。他者が何を思い何に怒り何を喜びとするかを感じ取り、喜んでもらうように行動するということを、1万年以上を(5000年代:1代20年として、親から子に5000回以上)かけて作ってきた。人間しかやって来なかった“こころ”の動きだ。“こころ”を創った。

一定の生産が行われ、平和になると余裕の時間が生まれる。平和になって生産力が高まると、人びとの中に多様性が発揮される。“こころ”の発露(外界化)は、経済力と平和(安定化)が実現したところで生まれる。歴史的には、貴族や王家(天皇家)や将軍や殿様などの身分を持つ階級の中で生まれる。言葉で歌として“こころ”を表現した万葉集や男女の恋愛の機微を描いた「源氏物語」といった文学、土偶や仏像などといった彫刻、絵巻や屏風画、山水画などの絵画、江戸時代では浮世絵といった絵画技術だけでなく、彫り師や刷り師といった高度な技術も生まれた。表現するものは「良いね!」いった「感動」だ。“こころ”を揺り動かす感動だ。それの幅が広がり、細やかになっていく。能の表現は足先や能面のちょっとした向きなどで表現する。そして見る者はその違いを感じ取る。繊細になっていく。一方で歌舞伎といったより派手に力強い驚きを面白さとして表現する。

現代日本で言えば、アニメは「エヴァンゲリオン」や「鬼滅の刃」など派手で刺激的な表現の中で孤独の悲しみと成長する苦悩や、苦悩から解放されて行くために戦う矛盾といった“こころ”の中の葛藤を描くものから、「ゆるキャン」「昨日何食べた」のようにただ日常の何気ないものを表現し、癒されるというモノまである。日常が、細やかな感情で満たされて行く。

“こころ”を想像し、発展させていくことが人間の脳の進化の方向ならば、平和であることが重要になる。もちろん安心して食べて行けるように生産力の向上も必要だ。

あれ?どうすれば、平和が創られ、維持され、生産力も発展できるかが、人間社会の課題なのか、ということになってしまった。

昨日のテレビで、江戸時代の科学の底力みたいなものが流れていた。江戸時代で平和になったら、日本人は、農民も含めて学問に励んだそうだ。寺子屋という言葉を聞いたことがあるが、それが江戸といった都市だけでなく、地方でも寺や神社を中心にして全国にあったそうで、読み書きそろばんを中心に、数学の学びの場があったらしい。また都市の町人では、40歳50歳で隠居して、道楽として天文や測量などを学び、テンも観察をしたり日本地図を作ったりしていた。確かに、平和なことは大切な事なんだと痛感した。

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