2021年12月17日
“こころ”の成長とは“良い”方向に向かって行くことだ、と書いた。その“良い”こととは、他者を我がことのように思い大切にすること、他者を否定しない肯定してポジティブに生きることを励ますこと、過去からつながる“こころ”を次世代につないでいくこと、が“良い”ことだと書いてきた。
(これが正しいかどうかは分からない。単なる妄想だ。それでもかまわない。人間の脳としての目標、自分は何者かという問いを考えて行く基礎となる考え方、パラダイムとして今の自分の中に組み込まれている考え方、感じ方、概念だ。)
動物になった生物は、他の動物の餌になる、食べられる状況から逃げるために「危険」を察することを覚えた。それまでは、光りを感じたり音を感じたり匂いや毒を感じ反応していた生き物が、食べられるかもしれないという予測を立てる能力を身につけた。食べられる!危険だ!逃げろ!という状況判断と行動するという感情を身につけた。
それが、人間の歴史をみると、自分一人の存在の安全を確保するというレベルから、いつしか子供を守るという風に発達成長した。それまでは、卵は産みっぱなし。命のバトンをつなぐために、卵を沢山産んで対応してきた。いつしか卵を守る種が生まれた。
さらに、我が子への思いから家族へ、パートナーを含むかたまりへ、血族という大きな集団にまで広がった。そして、ついに死んでしまった亡骸を守るというレベルになり、亡骸が他の動物に喰われることを避けるために埋葬を始めた。
死者を弔うことを始めた人間は、かけがえのない人を失うことの悲しみ、耐えられない悲しみを克服するために、ついに「魂」の永遠性を考え出した。
このことから“こころ”の成長は始まったのかもしれない。つまり、存在しない、目に見えない「魂」を想像し、創造した。こうして“こころ”が生まれ、成長を始めたのだ。
“こころ”の歴史は浅い。わずか人類史は200~300万年、ホモサピエンスとしては10万年、定住した人間社会としては5万年から2万年、建造物を通して歴史としては1万年、
文字の歴史としては5千年くらいだ。愛や悟りを語り始めて3000年、心理学として“こころ”を捉え始めて、200年も経っていない。機械(AI)に“こころ”を移植しようとして20年くらいか。人間は、“こころ”を考え始めたばかりだと言って良い。
どういう方向に成長していくのか?
ひとつは、他者の尊重。他者を自分と同じように大切にする。自分の子供を大切にする感情を子供ではない他者に対しても持つようになる。そして他者の思いを尊いものとして捉え、他者のその思いを実現するために奮闘することを喜び、自己存在の意味だと捉えるようになること。子どものためにすべてを投げ出す親の心情が全他者に向かうということ。 もう一つは、生命でない機械(AI)に“こころ”を移植すること。物質運動としての最高形態の“こころ”を創り出すこと。これって、SFの世界だ(笑)・・・AIは悩むか?(笑)・・・新しい問いだ。
「みやじいのひとりごと」は今後も不定期に掲載予定です。
どうぞお楽しみに!