みやじいのひとりごと1「文章を書く気持ち」
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「みやじいのひとりごと」はAsTobe最年長(67歳!)メンバーのみやじいが、日々考えたことをつらつらと書き綴るエッセイです。

第1回のテーマは「文章を書く気持ち」

「文章を書く」ということを彼がどう捉えているか、ぜひその視点を皆さんにも味わっていただきたいです。

それでは、本文に入ります。

みやじいのひとりごと1「文章を書く気持ち」

2021年7月21日

書くことを勧めてくれてありがとう。うれしかったです。

仕事も無くなり、人と会うことも無くなり、後は静かに死んで行くことしかないなと思っていました。自分一人では、それも有かなと思っていたのだけれど、書いて欲しいと言われると、面白いもので、あらためて、書くことをしてみようかと思うようになりました。

人の気持ちは、面白い。

まさに、つれづれなるままに、日暮し、パソコンに向かって、その時その時感じたこと思ったことを書いてみようかなと思い、まさにおかしな気持ちになりました。(笑)

本当に人の気持ちは面白いものですね。昔、若い頃(10代の後半から30歳頃まで、いやそれ以降も、ひょっとするとついこの前まで)は、人はこうあるべきだ、一度決めたら変えてはいけない、決めたことを変えることは変節であり一種の敗北だ、と思っていたこともありました。

今は、自分の気持ちに正直になること、気持ちはひとつではなく、いろんな感情が同時に湧き上がってきて、それぞれ秒単位くらいで強弱が変わる、ということを理解しました。

なので、それぞれの感情を確認するというか、そうなんだこんな気持ちも混じっているのだという気づき・発見を楽しんでいます。

なぜかというと、もうすでに人生をかなり過ごしたという実感が生まれてきたからです。人生どう生きようか、人としてこれからどうあるべきか、ちゃんとした仕事につかなければ、人から評価される存在にならなければ、誇りを持つ、大きな成果を生み出さなければ、といった、今後の人生を考え悩む必要がなくなったからです。

60歳になった時、本当にふと気づいたのです。『60歳、あっ!もう60歳。もう60年生きて来たんだ。ちょっと前までは人生は60年と言われていたんだから、60歳ということはもう人生を生きて来たということなんだ!もう、これからの人生をどう生きて行かなければ行けないかと悩む必要はないんだ!』ということを、本当にふと気づいたのです。『あれっ?あんなにどう生きるべきか悩んでいたのに、生きて来てしまったんだ!』笑いますよね。答えを見つけ出すことも無く、(以前なら、「答えを見つけ出すことも出来ずに」と言ってますね。笑)、人生は正解が何か分からなくても生きて来れるものなんだ!ということに気づいたんです。人生に、生きることに焦りが無くなりました。現代だと、寿命が長くなってきているから、60歳ではなく、80歳くらいになるのかもしれませんね。

生きて来てしまったと気づいたら、後は、何でもあり、という気持ちになりましたね。何でもありだから、時々人生はこうあるべきだという気持ちも生まれます。(笑)。その時は、あぁ、まだこの気持ちが残っているんだぁ、と認めます。これも、面白い感情です。

今は、そんな気持ちを“味わう”ようにしています。

書くことで、その“味わい”を言葉として把握しなおして、納得しているという感じです。


「みやじいのひとりごと」は今後も不定期に掲載予定です。

どうぞお楽しみに!

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