2021年10月21日
未来の選挙の妄想 続きの続きの続きの続き
直接民主主義の仕組みは人間社会の進歩のゴールなのだろうか?確かに、歴史的に見れば、農耕社会となって以降、人間社会の中にピラミッドのようなごく少数の天辺の人とその天辺の人を支える中間の人びと、そして虐げられ生産活動を行う多数の庶民、その下にも差別社会の構造を維持するために作られた奴隷や人とすら認知されない人々がいた。それは出生によって固定され、生まれが権威となって社会構造の安定化がはかられてきた。
それをその時その時に「革命」と言われる大きな変革を、まさに戦いを通して“実現してきた”。“実現してきた”という行為の主語は、「人間」なのか「虐げられていた人々」とするかは、その人その人によって異なるだろう。その人がどんな価値観・人間観を持っているかが問われるものだ。
これまで書いてきたことをまとめると、社会を構成してきた歴史は、余剰生産物である富・財を所有し分配してきた人の数が増えて来たということなのだと言いたかったのだ。
だが、そうではないのかもしれないという疑問が生まれてきたのも事実だ。2011年のアメリカの「我々は99%だ」という運動、日本でも新自由主義でコロナを通して富の集中が進んでいるし、中国でも富の集中が起きている。だからわざわざ「共同富裕」というスローガンを掲げるようになった。残念だが、中国は民主主義国ではない。中国共産党の専制国家であり習近平氏の権威主義国家になりつつある。アメリカでは、なかなか99%の国家にはなりえていない。
民主主義では、富の公平・平等の配分は実現できないのかと思ってしまう。いや希望はある。北欧の国々は民主主義の国でありながら、福祉国家として富の公平な再配分は実現している。日本では情報が制限されていて、イメージを広げることが難しい。だから、余計に若者は政治に期待や希望を持てていないと思う。今の日本での社会構造に関する情報は、アメリカ・中国・韓国・北朝鮮くらいしか入ってこない。時々入ってくるのは、アフガンやなどのテロや紛争のニュースだ。ロールモデルとなる社会構造の国は見当たらないと思ってしまう。
もっと未来に対して明るい夢を描けるようにしていきたい。そう思い、この文章を書き始めたのだけど、、、暗くなってしまう(笑)(´;ω;`)ウゥゥ 明るい未来を描きたいのだ! 少なくとも民主主義は、誰もが同じ人として尊重され、平等な権利(投票権:政治参加権と教育を受ける権利=人間は教育によって人間になる権利、医療を受ける権利=病気になっても誰もが同レベルの医療を受ける権利、福祉=何らかの理由で貧困になった時に最低限生活を営むことができる保障を受ける権利、身体的差異(男女・性意識・身体障碍・発達障害等々)による差別がなく平等な存在として認められる権利、思想の自由 等々)を求め実現してきた制度だと思う。まずは、このことを人間社会の進歩なのだという理解をするところから始める必要があると思う。
「みやじいのひとりごと」は今後も不定期に掲載予定です。
どうぞお楽しみに!