2021年12月14日
“こころ”は、肉体を持っている。生きている。それは、生き続けようという意思を持っているということだ。そして、肉体としての脳は育ち成長しながら、ソフトという考え方、価値観、つまりあらゆる情報を感知し見極め評価し、ひとつの意思を生み出す。そのソフトは、生きる喜びを最大にしようとする。そのために、他者の悦びも感じ取り、そのために生きて行こうとする意思だ。
成長するとはどういうことか。肉体を持つ生き物としての成長は、130億年という長い進歩の歴史の成果のDNAにしたがって、肉体的に成長することだ。DNAには脳のシナプスをつなぐように成長することが組み込まれている。ハードは出来ていると言って良い。そしてソフトも人間としての200万年、人間社会としての50万年、定住生活としての5万年の歴史が創って来た。それは他者との協力だ。誰かの助けを必要な無力な生き物(赤ん坊)として生まれ、他者から助けられて生きてきたことが経験の記憶となって、ソフトの基本となっている。他者に感謝し、笑顔で表現し、共感し同じ「仲間」として認識し、友情や愛を交わす。これが、“こころ”だ。
もし、今まで財を生産する生産力を高めるために必要だった、「神」や「権威」や「暴力」や「専制」や「経済力の集中」が、無くなったら、もう必要ないまでに財は生産されていると気づき必要ないと思ったら、経済力を得るために勉強することも無理やり教育することも無くなり、“こころ”は解放される。
ひょっとすると、制約がなくなり、競争心が無くなったら、人間は堕落するという人達が出てくるかもしれない。その確率は高い。2000年以上前に「今どきの若者はなっていない」という内容が刻み込まれている記録があるらしい。“経験豊富”な大人たちは、(おそらく競争に勝利してきた男たちだろう)いつの時代も、子供の世代に対して苦労知らずの遊んでばかりの情けない者だと思うらしい。そう思うのも“こころ”だ。ということは、“こころ”は変わらないということ?とつい思ってしまう。
“こころ”は、生活環境によって創られる面がある。これは遺伝子の活動と同じだ。遺伝子も環境によって発現する遺伝子が決まる。エピジェネティクスと言われている。もともと一つの受精細胞だったものが、分裂を繰り返し、骨となり筋肉となり目となり脳となっていく。それぞれ一つ一つの細胞に、進化していく方向性を決めるもの、それがエピジェネティクスだ。分裂して大きな集合体となった胚細胞は、その位置によって、全体の中での位置、例えば内側と外側、速く分裂した細胞が集まっている場所か、遅く分裂して相対的に新しい細胞が集合しているかといった違いで、それぞれの細胞の遺伝子の発現する部分が異なり、それぞれの機能を持った細胞に成長し、様々な部位をもった肉体に成長していくというものらしい。
これと同じことが、全体としての肉体と脳を持つ個々人のその時その時の環境がソフトである“こころ”を創っていくという考え方だ。その環境は親子関係であり、コミュニティーであり、国家であり、時代である。