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2021年10月29日

“人”というものを、現代の日本という社会で、考え直してみたい。

“人”とは何か?この問いの答えはどんなものがあるだろうか?

“人”の答え、正解はひとつではない。“人”は常にこの問いに挑み悩み答えを見い出してきた。それが「人間性」「人間らしさ」「人でなし」という言葉でイメージされる“人”の姿=行動スタイルだ。もちろん「人でなし」は、“人”の答えの反対の姿なのだけど。

自分のために他者を利用する、人を貶めるためにうそをつく、自分の利益のために裏切る、欲深く金儲けしか考えていない、これらは“人間らしさを失った人”の姿として、小説や漫画や演劇や映画やドラマで描かれている。さらには「花咲か爺さん」「舌切り雀」などの昔話にも「人でなし」は、語り継がれている。

人間味あふれる“人”は、どんな人なのか?それは時代や人びとの階層によって異なる。平安の貴族は仏を信じ寺に寄進する人があこがれの存在だった。武家社会では、親の仇を打つ者や忠臣蔵のように殿の仇を討つのが人として尊重された。また、弘法大使の空海や親鸞や日蓮などの宗教家も仏教を通して「人の道」人間らしい生き方を語り広げて来た。幕末では吉田松陰や明治になると福沢諭吉などその時代に見合った生き方を語って来た。

戦前の大正・昭和の時代では、教育勅語などで天皇制を基にその権威主義を家父長制として庶民に下ろし人倫を小学生から教えて広げて来た。そして、天皇万歳と叫び死んで行くことを価値ある生き方として強制した。

現在はどうなのか。戦後日本人のほとんどはそれまでの価値観が180度ひっくり返ってしまい、何が正しい生き方なのかを見失った。目の前にあるのは食糧難による飢えに対すること、経済の混乱を乗り切り安定を生み出すこと。

日本国憲法はまったく新しい価値観・国家体制として公布された。初めて日本人は男女ともに平等な存在として位置付けられ、家父長制も否定された、憲法上では。現実はなかなか一気に変革はされなかった。

権力を握ったのは、残念ながらそれまで権力を握って来た階層の人々だった。そんな人たちを議員として誰が選んだのか、それは普通の人びとだった。人びとに染みついた家父長制や権威主義的思想、専制的な思想は、憲法だけでは消えなかった。朝鮮半島で戦争が起こると、憲法で陸海空の軍隊と持たないとした憲法があるにも関わらずアメリカの指示で自衛隊が結成された。A級戦犯も刑務所から無罪放免され、逆に共産主義者がレッドパージ(公職追放)された。「逆コース」と言われているらしい。

そして、安保闘争があり、学園紛争があり、若者の政治活動を抑えるために、教育から政治教育が消えた。

ただ、私たちの時代は、小学校から憲法を教わった。日本国憲法の民主主義の考え方・平和主義が素晴らしいもので、これからの世界に先駆けるものだと教わってきた。教育の力はすごいと思う。それを正しいという考えからすべてを組み立てる。

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