2021年10月10日
みじめな青年は、生き残って、本人は生き恥をまとっている気持ちをもって、生き続けた。いや、死ぬことも出来ず、逃げ出すことも出来ず、殻にこもるように生き続けるしかなかった。
本を読み、クラシックのレコードを聴き、詩を書いた。それまでは、作文が一番苦手だった。中学までは、何のために何を書くのか訳が分からないというのが作文の授業だった。それが、詩にはまった。担任の国語の先生が若い時は必ず皆詩にはまるものだと授業で言っていた。その先生の詩の授業がよかった。詩の解説を聞いて、その言葉が生きていると感じた。単なる文字の羅列ではない、単なる言葉の羅列ではない、単なる文の羅列ではない、詩がひとつの感情の塊となってこっちに向かってきた。と感じた。
そして、自分の心の奥底に何か飛び出したいという感情の塊があることに気づいた。
ひたすら書いた。同じように詩を書く同学年生がいた。友達になった。それまで友達はいなかった。それまでは同級生はいたが、初めて友達と言える友達だった。そう、思い出した。中学の卒業旅行(関西・奈良への旅行)は足を骨折していて不参加だった。
救いを求めるように書いた。高校三年生、受験勉強せずに詩を書いてばかりいた。リルケの詩に憧れた。情景表現で、心の悲しさを表現していた。
初めて投稿した詩が、採用された。それが自信になった。それしかなかった。それにすがるように書き続けた。投稿するたびに採用され掲載された。
人って、何か一つでも良いから認められるとそれだけで生きていける。実際それだけで68まで生きて来れた。スポーツでも、絵画でも、歌でも、今ならゲームでも。
将棋や野球やスケボーでも漫画でもイラストでもゲームでも、何でも良い。他の人に比べて上手なものがひとつあって、それを誰かに認めてもらい褒めてもらえたら(これが承認だ)生きていける自信が生まれる。しばらくは頑張れる。宗教はいらない。神はいらない。自分の心の奥にいいね!のマークがつく。自己効力感というマークだ。
今になって思う、自己否定と言わなくても、自分を肯定できない感性、価値観と思考がいつの間にか身に付いてしまった若者が生き生きと生きていけるようにするためにどうしたらいいのか、自分事として考え続けて来たように思う。自死でき無い自分を何とかしたいという思いから、宗教や哲学や歴史を学んできた。答えは、誰かの言葉なのだ。高校の国語の先生の一言「逃げて構わない。逃げる時はとことん逃げなさい。」だった。
生きる力は案外そんなところにある。何でも良いのだ。勉強ができることより、自分の実感で熱中できることで認めてもらうこと。
苦手な作文が、自分の感情の吐き出す道具として関わった時、意識が集中し言葉が生まれ、文となる。文が連なり、詩となって感情の塊になる。 推薦で入った設立されたばかりの小さな私立の大学に入った。そこで文芸部に入って詩を書き続けた。宗教にも関わった。政治活動にも関わった。