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2021年10月26日

未来の選挙の妄想 民主主義の続きの続きの続きの続き

民主主義をより実効性のあるものにする。そのベースはAIとネットワークの進歩で出来つつあると思う。政治は政治家個人や政党だけではなく、個々の政策の是非で選択できるようにする仕組みを作ること。携帯の普及や集計処理スピード、文字の読解ソフトの進化、AIの解読分類判断能力の進化で、実現できるはずだ。

議論の公開性も上げるべきだ。今の政府の在り方、議論内容を見せない(そもそも議論していない)議論の記録をとらない、公開しない、記録を改ざんするなんてことは、本来あってはならないことだ。江戸時代のお殿様政治ではないのだから。

忖度は処理スピードを上げるためには必要な、完了としてのサービス向上的な行動なのかもしれない。が、それはきちんと記録され、求められたら公表できることが必要だ。政治や行政の活動が、誰かの恣意的なものになっては民主主義の崩壊だ。「神」もルソーもカントもマルクスも嘆くだろう。(マルクスは、万人の幸福を実現するためには、資本の動きを正しく理解し、正しくコントロールしなければならない、そのためにはその仕組みを理解した人間が政治をコントロールする必要があると言ったのだ。それが労働者階級(集団)による政権奪取=革命なのだと言った。実際は、単なる労働者ではなく、労働者の立場に立つ偏った知識保持者と武力を持つ軍隊だったことが、失敗を生む不幸の基となった。)

国会は、政党政治が中心となっているが、今回の自民党総裁選挙を見れば、驚いたが、同じ党の政治家なのに、各候補者の掲げる政策が180度違っていたということだ。よくこれで一つの政党だと言えるなと思ってしまった。投票する人は何を基に自民党に投票したら良いのか分からない。これでは、個々の政策の実現は難しい。今の首相が言っているように議論が必要だと言い続けるしかない。まとめられないから、内緒で議論せず決めて実行する。反対する者は人事権を使って弾き飛ばす。残るは、上を見るヒラメと太鼓持ちの官僚の忖度だ。

議論は十分に各委員会で行い、決定する国会での投票は、党の拘束を外し、政治家個人として選挙民や国民に責任を取る形で個別に賛否の投票を行い決議する仕組みに変える。

そうすれば、党をまたいで個々の政策は実現される。責任は党に対して負うものではなく自分に投票してくれた国民に対して、説明責任を果たすことになる。

また、政党ではなく、政策に投票することで、投票した一人ひとりは自分が支持した政策が実現されるかどうかに関心が高くなる。

テレビやネットでの情報も、政策が実現したかどうか、した場合は今後どうなるかが報道のテーマになるし、実現できない場合はその理由が何だったのかが報道のテーマになり、見ている者の関心が高まる。そうなって欲しい。政治は生活に密着していることが浸透して行って欲しい。やはり、政治と生活の関連性についての教育が必要だ。

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