みやじいのひとりごと4「自然の弁証法的に」
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「みやじいのひとりごと」はAsTobe最年長(67歳!)メンバーのみやじいが、日々考えたことをつらつらと書き綴るエッセイです。

第4回のテーマは、「生きるということ」

みやじいの思索は、ついには人類の誕生までさかのぼり、そこから弁証法的に「生きるとはどういうことか」を深めていきます。

それでは、本文に入ります。

みやじいのひとりごと4「自然の弁証法的に」

2021年7月28日

脳が考え続ける器官(臓器)となったのは人類になってからだろうか?科学的な動物の実験からは、チンパンジーは考えるみたいで、コミュニケーションも取っている。イヌやネコもコミュニケーションをとっている。コミュニケーションを感情の相互伝達と相互確認と相互承認というのなら、繁殖期の哺乳類はそれを行っているように観察できる。また授乳期の母親と子供との間でも行われているように見える。

人類は、他の哺乳類だけでなく動物・植物とことなり、繁殖期間が季節に関係なくなった。ある意味年がら年中発情していると言っていい。(笑)だから、常に感情的コミュニケーションができるし、実際に行っている。

性を持たない生物である細菌が、そういえば性が無いから発情する必要もなく、常に繁殖出来ている。そうかあ、ある意味性によってより生存に有効なDNAの存続戦略を作った生物が、性によって季節による発情期という期間限定という効率良さと弱点を、人類は克服したと言える。それは、食の雑食性という食物種類の限界を超えさせたことによるのもだと思う。その食の無制限さ=消化吸収能力の拡大は、この前の番組からは腸内細菌との共生によって獲得されたのだろう。サツマイモしか食べない民族が、筋肉隆々の肉体を持っているのも、サツマイモのでんぷんを消化しタンパク質の原料となるアミノ酸を分泌する腸内細菌の働きによると言っていたことからも理解できる。

そして、その腸内細菌が人間の脳を刺激し、嗜好やそれから生じる感情、さらに好き嫌い、「良い悪い」の価値観を生み出している・・・かも知れない、と考えると面白い。

江戸時代の武士は白米中心の食事だった。コメのでんぷんを消化しアミノ酸を作る腸内細菌が腸内を“支配”していて、儒教という哲学と結びついて日本独特の世界観=「世間」を作っていたのかもしれないという妄想が生まれる。

コメ中心の食事が変わったのは、世界大戦の敗戦によるアメリカの支配時期からだ。食料に難に陥った日本は小麦粉(アメリカ粉=メリケン粉)を輸入し、学校では脱脂粉乳(牛乳)を飲み、さらに学校給食はパン食となった。コメから小麦へ、魚から牛乳・肉食へ変わり始めた。それによって、日本の価値観、文化、世界観=世間も変わり始めたと言えないことも無い。・・・妄想は続く(個人的には、現憲法の策定は「革命」だと思っている)

また脱線した。脱線は楽しい。妄想は面白い。思想家はその妄想を整理し体系化して行った人なのだろう。なぜなら、その人よってはそれが真理であり、その弟子や周りの人によっても真理であり、それが浸透したその時代ではそれが真理となったのだろう。だが、時代が変わり科学が発展し、さまざまな便利なものが作られ日常生活が変わり、社会が変わると、それが真理ではないと否定される。思想家は妄想家なのだ。 妄想が、人の生活を創っているのだと言える。妄想を続けて行こう。それを体系化しそれが真理だと自分で“納得”して行こう。人生の終焉は、自分の人生をこんなもんだと“納得”することで良いのかも知れない。(笑)      以上

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