2021年9月02日
現代人は、少なくとも現代日本の人びと、特に若者や子供たちは、自分のやりたいことだけをやって生きて行くことはできないのだろうか?
キャリアの理論では、理想の仕事とは「やりたいこと・できること・価値があること・収入があること」の4つが重なったところにあると言われている。それは理想的ない暮らし方であり、望ましい生き方(キャリア)だと確かに思う。
「好きなことをやって食っていけるはずがない」とよく言われてきた。「とにかく生きるために稼ぐことが大事。好きなことはその余暇でやったら良い。」とも言われる。「価値のあることという大それたことを考えるのではなく、できることをコツコツやること。」そんな人生哲学?を嫌というほど聞かされてきた。だから勉強しろ、とにかく大学に行け、それもできるだけいい大学に入れ、まずは勉強だ!と叱咤されてきた。
そして気が付くと「自分が何をやりたいのか、本当は何が好きなのかが分からない。やるべきことを教えて下さい。」という大学生や若者が増えてきているように思う。「これをやりなさい、好きなことは大学に入ってからやったら良い、大学に行ったら見つかるから。」
そう言われ続けて、とにかく受験勉強をしてきた結果が、自分が何が好きで、何をやりたいのか分からない自分になってしまった。
そして「自分探し」が始まる。それもありかも。「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」(論語)とある。生きる意味、目的を知ることが人生の基盤なのだからということらしい。2000年前の若者もどう生きるべきかを探し求めて、旅に出て、修行した。王子だったゴータマ・シッダールタ(ブッダ)もそうだ。その弟子たちも。孔子の下に集った人たちもそうだ。キリストの弟子たちもそうだ。
そう、もともと人類は生きる意味をもっていない。生命の出現からその進化の結果の人類でしかない。人類から集団で生きる道に入り、集団が発展して社会を形成する人間となった。社会の中で生きるしかないヒトはコミュニケーションを行い、物をつくり、物語を創る複雑な脳という器官を持ってしまったため、生きる意味を探してしまう存在になってしまったのだ。生きる意味は、論理的に思考する脳にとって、原因と結果を考え結びつける物語が必要だった。物語こそ、納得できる生きる意味を含んでいる。作物が豊作になるのも冷害で不作になるのも、地震が起きるのも、台風が来るのも、大雨が降って洪水になるのも、神が怒っているのだからだ。神の怒りを鎮めることが生きて行くうえで重要な事なのだ。その神の意向を探り理解し実践することが必要だったのだ。なぜなら、作物を作る方法が改善され効率が上がったため、食べ物を求めるだけの時間時間にゆとりができ、深く考える時間が集団の中にできたからだ。 今の日本はさらに効率が向上して、食べ物をつくる時間は日本人全員の全体の時間の中ではるかに少なくなりわずかになった。時間は余った。余った時間で考える。何を?生きる意味を。働く意味を。自分が何者かを。自分探しだ。 以上
「みやじいのひとりごと」は今後も不定期に掲載予定です。
どうぞお楽しみに!