2021年9月12日
昨日、日本国憲法についてググっていたら、面白い文章に出会った。「日本国憲法前文に関する基礎的資料」というもので、なんと衆議院憲法調査会事務局が平成15年7月(2003年)に編集していた。
内容は、
1)憲法前文の意義と解釈とそれに関する国会内の議員の質問と政府の答弁
附録として現行法律の前文 例えば教育基本法の前文等
2)1946年の憲法作成過程の検討内容 当時の資料と審議内容記録
3)平成の憲法調査会での各議員の発言記録
4)現代風に訳された前文(作家などが書いたもの複数)
5)世界各国の憲法の前文
となっている。(多くの人に読んでみてもらいたい。)
特に1946年の制定時の草案がどのように変更されて至ったかが分かるように書かれている所が面白い。確かにGHQの原案を基に日本語に訳されたものから始まっているのだけれど、さまざまな意見が出され付加され現在のもに出来上がっていくかていをみると、良く押し付け憲法といわれているけれど、当時の日本人としてかなり議論がなされ、最高のものに仕上げていたのだと思った。
また、翻訳調の文で、日本語としては拙くひどいものだという意見もあるけれど、当社の訳文は文語体でカタカナでなされており、“日本語らしく”訳していたら、それこそ今の人からすると、全く読めないし、読んでも意味の分からないものになっていたのではと思う。1946年の4月に、ひらがな口語体の文章にと法制局の内部から非公式に議論されていたり、作家の有志が建議していたことを受け、口語化を閣議決定した。その原案を作家有志の一人、山本有三氏(「真実一路」「路傍の石」など)に依頼し作成されたものだ。山本有三氏は戦前の人道的・社会派の作家として超有名。
それからしても、拙い文章だ、悪文だというのは、どうなんだろうね。主に自民党の議員さんたちがそう言っている。改憲するために言っているとしか思えない。確かに旧仮名遣いの表現になっているけれど、それを修正するだけですごくわかりやすく格調もすごく高いものとなっていると思う。
現実とあってないという人も多いが、それは憲法というものを誤解している。憲法は人間の集合体としての国民として目指す理想であり、大切にしたい理念であり、目標とする指針なのだ。今は沢山の会社や企業やNPOがそうしたものを、企業や組織の経営理念として掲げている。それの国家版なのだ。人間として国家としてありたい姿を掲げそれに向かって努力し邁進すると「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」と力強く謳っているのが「日本国憲法」なのだ。
日本国憲法前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。
以上