2021年9月13日
なぜ日本国憲法について、書いているかと言うと、人間の社会史としてのひとつの到達点が「日本国憲法」だという思いがあるからだ。
人は、社会を構成し、富の集中と人間の階層を作ってきた。それは、現代からの視点で捉えなおすと、生産性を増大させ、より多くの人びとが生きていけるような仕組みを作ってきたのだと言える。その仕組みのひとつが「日本国憲法」の思想・理念なのだ。
一定の生産力があると、ひたすら労働する必要は無くなり、余暇・遊び・趣味に時間を費やし、それなりの幸せな生活ができる。しかし、それでは更なる生産力の向上は起きない。経済の発展、物質的豊かさの追求は起きない。魚を日々100匹捕れば、村人全員の空腹が抑えられ、満足した生活ができているならば、なぜわざわざ130匹150匹捕る必要があるのか。
天候や災害による不漁の時を乗り越えるために、蓄えておかなければならないからだ。リスの蓄えや蟻の蓄え、モズの「はやにえ」もそうだ。冬の雪、食物が捕れない冬の越冬のためにも蓄えは必要だ。そうした不安は消えることが無い。働き続けることが必要なのだ。働きたくない者は、誰かを働かせる必要が出てくる。
それは強い者、腕力・暴力を持った者が他者を支配し、働かせた。最初は奴隷だ。戦争で勝ち、その敵を捕らえて奴隷とした。当初の生産力は人間の労働力そのものだったので、人間を所有し労働させた。その労働によって物が作られ、富を作った。その後、奴隷の反乱やさらに生産力を高めるために奴隷に一部の自由を与えた。子供を産み育てる自由、家庭を持つ自由だ。そうすることで、むしろ奴隷が戦争ではなくその子供として手に入れることができるようになった。奴隷が奴隷として身分的に人間の階層として固定された。そこにも「神」の権威が使われた。てっぺんは神の子孫である、神聖なる「王」である。
「王」はさらに大きな権力・権威を持つために、他者・他地域を侵略して行った。当然同様な「王」が侵略しようとする地域にも居るため、戦争となり、地域が広がれば広がるほど戦争は大きくなった。戦争のプロも育った。そう、プロが誕生したのだ。自分の強みを生かすこと、自分の好きなことをやること、自分のできる得意なことで衣食住を得ることができ、それを職業として暮らしている存在というプロが誕生した。(ちょっと前に書いた、「好きな事、できること、自分が価値と思うことで仕事ができる」理想とする社会の一部が生まれたと言える。) プロが生まれるには、食糧生産に携わらなくても生活できる人を養えるだけの余剰生産を生み出すまでの生産力の向上と、余剰生産物=富の収奪と集中が必要だ。そうしたプロである非労働集団(まだまだわずかな人数、おそらく数パーセント)を養える社会になったと言える。そのプロになかに、真理探究、学問分野のプロも生まれて来た。古代ギリシャの哲学者もそうだ。物質運動の発展として見ると、自らの存在の意味を考える存在まで進化してきたのだと言える。