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2021年10月08日

「親ガチャ」を続けよう。前述した3つを受け入れろと言われても、簡単にできることではない。受け入れたら、経済的に豊かになり、進学できるのか、生活が変わるのか、孤独が解決されて、誰からも賞賛されて、苦悩が消えるのか、幸せになれるのか、ということが解決されるのかということだ。

受け入れても、状況が変わらない。変わらないなら受け入れる必要はない。親をガチャガチャで失敗したと運命を恨むしかない。そうやって恨みを持ち続けて生きて行くしかない。そうやって思い続けることが何が悪いと、若さのエネルギーは突っ張っていくことを選ぶ。後は野となれ山となれだ。

自分の経験を振り返ると、まさにこの3つを受け入れることができなくて、受け入れられないままでそれらと戦い続ける力が自分にはないという自分の非力さにみじめさを感じていた。

田舎でそれなりの家に生まれ、姉二人、6歳5歳離れて、生まれた。家としては待ちに待った男の子として生まれた。箱入り娘というのが女の子に対して言われる言葉ではあるが、自分は箱入り息子という風に育てられた。

海のすぐ近くに住んでいたが、小学校に行くまで海に行くことが禁止されていた。走ってはいけない、木登りは行けない、川に行ってもいけない、ずっと家の中で一人で遊んだ。

確かに、2歳か3歳頃、囲炉裏があって、その中に頭から突っ込んで大やけどをした。らしい。記憶はないが小さい時に良く話を聞かされた。首から顔にかけて、両手と大やけどをしたらしい。隣の村にある医者の所に、祖母が背負って通い続けてくれたとのことだった。もう薄くなったが両手の甲にシミのような火傷の後がある。

そんなことがあったから余計大切にされた。過ちが起きないように家の中で育てられた。

とうぜんもやしのように育ち、痩せて病弱で、季節の変わり目は必ず熱を出して経ていた。よく変な夢を見ていた。天井から金色の塊が現れ、布団の上にかぶさってくるという夢だ。全く同じ夢を毎回必ず見ていたことを思い出す。苦しい夢だった。金縛りに近い状態だったと思う。

自分の食べ物、着るもの、履くもの、遊び、何から何までこれが良いと与えられた。自分の希望を話す間もなく、これが良いと決められた。自分の気持ちや思いも、「この子は〇〇なんです。」とだれかれ構わず伝えてくれていた。自然と口数は少なくなる、すると余計に誰かが自分に変わって話してくれた。自分はウンと頷くだけだ。

そんな生活をしていると、自分が何がしたいのかが分からなくなった。 成績は、体育や音楽や図工以外はトップだった。そりゃ、本ばかり読んでいたらそうなる。小学校では、勉強ができるより、運動ができる子がヒーローだ。運動ができる子がうらやましかった。そんな子供、そんな青年がどうやって生き延びて、自立してきたのか。老人として何を言い残せるのか。

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