2021年7月30日
弁証法について、以前少し書いたが、弁証法とは、物事をどう見て行くかという考え方のひとつだ。それは変化・進化・発展を中心に認識するという理論だ。
仏教ではちょっと違うが「無常」という考え方がある。常ならず、生じたものは滅びて行くという思想、生き物だけでなく物事も変化消滅していくというものだ。これには、発展・成長・進化という前進していくというポジティブさは無い。むしろ後ろを向いて、悲嘆するような見方だ。だから、その悲しみを感じないように諦念をもって、悟る。成長発展を求める欲望、煩悩を無くして暮らすことが理想となっている。
弁証法は前を向く。ゴールは見えないが(ヘーゲルは、神の思し召しを実現することがゴールであり、そこに向かって人間の歴史は発展し来たし今後もしていくと考えたようだ。)内在する何かを否定するモノが生じ、それが統合されて新しいものを生じさせない内在化していく、そしてそれを否定する何かが生まれ統合されて行く、その繰り返しによって発展していく。
一人ひとりの考え方・思想・価値観・世界観・概念というものは、モザイクのように誰か多数の考え方・思想・価値観・世界観・概念を寄せ集めて出来ている。言葉や文字や語順による表現方法、それらすべて自分が生まれて育って来た中で教えられ、学び、吸収し、獲得され、たものだ。(この前、それが腸内細菌でもあるみたいな考え方を知った。(笑)
自然の弁証法みたいに考えると、ビッグバンによって物質が生じ、それが銀河宇宙を形成していく中で、恒星や惑星となり、惑星の中で有機物が発生し、それが複雑に絡みアミノ酸となり、ついに自分のコピーを作り出す生命体にまで複雑化した。それが生命体として進化し、単細胞から、性(同じ種類なのに違う性質を持つもの)を生み出し融合することで環境の変化に対応する能力を身につけ、多細胞化してきて、ついに130億年かけて現在の人間にまで進化してきた。人間はどう進化したのか。(この考え方も誰か大勢の先人達の考え方の寄せ集めだ。)
人間は、脳という神経細胞の集合体を特に発達させた。引き換えに、というか同時進行として、4足ではなく2足歩行を行い、手を生み出し、体毛を退化させ衣服を作り、石器や骨や木の枝で武器を作り大型動物を捕食した。大型動物を食べつくした(サピエンス全史)ので農業を始めるしかなく、それがうまくいった。地球上のほとんどすべてのものが食料となった。(腸内細菌との共生のおかげでもある。)そうしたことを繰り返し、集団として社会を形成してきた。これらすべてを通して、人間は脳を発達させた。(結果として発達したにすぎないかもしれない。)
その脳の能力はどう発達してきたのか。論理性の高度化、言語によるコミュニケーション、感情をマネジメントする前頭葉の発達、自己以外の他者の感情・思考・行動を想像し予測する能力の発達。これが他の動物よりもより高度に進化発達してきた。結果的にそういうふうに、変化し進化してきたと、考えるに至った。 以上