2021年10月2日
話を飛ばすと、人間の思考は、原因と結果を結び付けて理解し、記憶することで出来ている。脳は神経細胞として熱や化学物質の刺激に反応するところから、複雑化し、記憶を作った。その記憶の仕方も進化し、以前にこの刺激と同質の熱や化学物資の刺激を感じたことがあるという風に、個別に敏感に反応するという記憶から、この刺激があると次はこの刺激が来るといった関連性の記憶になり、さらに、この刺激の原因はこれだという原因の記憶になる。
さらに人間は、その記憶を思い出すというレベルに至り、その記憶に原因と結果を組みこみ、物語を作り出すまでになった。人間は物語を通して考え記憶する。この物語は過去の思い出ではおさまらず、未来の夢のお話にまで広げられる。別の視点で言えば、その原因と結果を作り出す物語で「神」を創りだし、その神によって遠い過去と遠い未来が物語として繋げられた。
つまり、まったく経験したことも無いのに、刺激を想像し、その想像されたものから、原因と結果を結び付け、その物語を未来に引き伸ばし、その物語に従って今現在を生きて行く生き物になった。
昔から、さまざまな現象について、その原因と、その原因から生み出されてこの現象が起きているのだという関係性を考え、その関係性を正しい物語として整理し、口頭で、文字に書き、偶像を作り崇め、歌にして子供たちに、若者に伝え、教え、集団をまとめ民族として国を作り守って来た。
子どもや若い若者に物語を語ること。それが、人間の脳に見合った教育なのだ。原因と結果の繋がりを伝えること、その物語を通して未来を想像するようになること、それが人間の変化、社会・文化の発展、進化を創り出すのだ。
大切なのは、「神」の存在を信じることから規定される物語を唯一「正しい」ものだとする宗教を、科学的に再思考することだ。
疑うな、信じるところからすべてが始まるのが宗教だ。科学的だということは、それが本当に「正しい」か疑い、それはおかしいと反論が許され(反証可能性:カール・ポパー)、さまざまな視点から「正しさ」が、検証されることだ。「正しさ」が、論理(原因と結果の関係)として、事実の現象として証明される=再現できること。
科学的な正しい物語を、子供達に、次世代の若者に語りつなぐこと、それが人間の大人として長く生きて来た老人が行うべきことなのだろうと考えるに至った。
生きることが息苦しい一人の人間として、個人の悩みの原因のひとつ、自分の性格とどう付き合うのか、またその性格がどのように作られてきたのかという心理学的な原因追及、その性格から予想される将来像(未来)をどう受け入れ、これから生きて行ったら良いのかという悩みを、人類史、生物史、物質運動史という長大な時間軸で捉えなおすことで、科学的に「正しく」理解し、長大なストーリーとして物語ることで、解決する。 この考え方を、「正しい」物語として語り伝えたいのだ。