2021年10月4日
物質運動史で人間の社会史を捉えると、生産力増大の運動だと言える。それは人口の増加に現れている。今や人間は74億?だ。このままでは確実に100億は行く。その時、その人口を賄える食料は生産できるのか?それが、現在の環境問題とも大きく関わっている。
今まで、人間はいくつかのこうした危機を乗り越えて来た。氷河期では火と衣料で乗り越えた。干ばつには、運河や水路、ため池、さらにはダムを作ってしのいだ。ペストなどの細菌の病気には、医療を作った。
民族同士の戦争には、、、
ネットワーク技術による情報交換と互いを理解し合うコミュニケーションで対応している。国際連盟、国際連合、などなど。
これはそのほとんどが個々人の生きる責任ではなく、互いに協力し合う規模を拡大することで対応してきたと言える。
これから必要になるのは、生産物の配分・富・財の再配分といった経済のありかたをどうするかだ。1%のためではなく99%のために、富や財を使うかどうかだ。それが民族の枠を超えて、地球人として協力共同できるかどうか。そのためにどうして行くかを考えて行くことだ。
何度も書く。現在の生産力で全ての人間を賄えることができるかどうかだ。経済学者はそれを研究して欲しいし、SDGsの行動を99%の人たちが必要だと認識すること。子供達や若者の次世代に知らせて行くこと。
みんなが納得する哲学を構築すること。それはお互いを大切にする哲学。そういえば、キリストの言う「愛」「隣人愛」もそれなのだ。宗教は宗教で人間の在り方をこうあるべきだと示していたのだ。ただ、それを信じろと強要してはならない。それが争いのもとになってきたのが、人間社会の歴史でもある。
では、どうすれば良いのか。悩むところだ。科学的であれと言っても、アメリカやイスラムの世界では、信仰が強く、科学そのものを受け入れようとしない世界観を持っている人々が多い。彼らの世界では、「神」が全てを創造したと信じ込んでいる。そういう人たちと、どう語り合い、わかり合うのかが、コミュニケーションの大きな課題だ。
ポイントは、衣食住だ。「衣食足りて礼節を知る」を実践するしかない。経済交流を友好的に行う。経済を、商売的な観点から、損得勘定、だまし合い、巧妙な交渉術で捉えるのではなく、共に幸せになるための交換、近江商人の「三方よし」、SDGsの掲げる経済政策や環境政策がこれからの経済政策だ。地球規模で、個人や企業や国家がよしとなるだけでなく、相手よし、社会=地球よし、となる経済関係、生産物の交換だ。けっして貨幣やそれを表現する数値のやり取りで繫栄することではない。
今日現在の日本の政府を、個人的なつながり、派閥という集団、その領袖への気遣いで政治を決めるのではなく、どんな社会を実現するかを大切にしていきたいものだ。