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2021年12月11日

“こころ”を、成長させるには、柔軟性が必要だ。かたくなに価値観をしっかりと持つというのではなく、様々な価値観を学び吸収し変化していくというある意味いい加減さが必要だ。他者と話しをしていて、どちらが正しいかと競うのではなく、「その意見良いね!そういう考え方もあるんだ!いただき!」といういい加減さ。雪だるまが、転がりながら雪をまとわりつけて大きくなっていくように、他者の考え方、価値観、物の見方をどんどん取り入れて大きくなっていくというイメージだ。なんといういい加減さだ。

そう、個々人の思想は、言葉と同じように誰かのものを取り入れて形作られていくモザイク画のようなものだ。どんどん変わっていくことを認める柔軟性が重要だ。“こころ”も同じ、どんどん誰かの影響を受けて変わっていく、大きさだけでなく、形も色も、敏感さも鈍感さもどんどん身につけて行く。聖火のバトンのように、炎は燃え続けているが、その燃える材料はどんどん変化していく。燃料のガスも、オイルも、酸素もどんどん変化していく。でも。聖火は聖火だ。熱く明るく燃え続ける。人間の“こころ”も同じ。燃え続け、明かり続け、変わり続ける。

“こころ”を柔軟なものに育てる。これが、子供を育成するポイントなのかもしれない。どう育ててれば“こころ”は柔軟になるのか?これが次の問いだ。

ポイントは、子供は親を見て親を習い親のように育って行く。これはミラーニューロンの作用でもある。見て真似て行動の仕方を学び、育って行く。学びは真似びだ。では、何を真似してもらうのか。次の問いだ。

これが、親となる成年の課題だ。真似てもらい身につけてもらい、次の世代の地球世界を創ってもらう“こころ”の柔軟性を身につけてもらう。それは、ブーメランとなって成年自身が“こころ”の柔軟性を身につけることだ。しかも子供を教育するにあたって、柔軟性を行動で示すことだ。

子どもに対して柔軟性を持って育てる。それは、子供に自由を与え、我がままをみとめつつ、やりたいことをやりたいようにさせる。とにかく大人社会の価値観を押し付けないこと。それは、赤ん坊の時はそうしている。泣いたら、おっぱいをあげる、もしくはおむつを替える、もしくは眠るようにあやす。決して男なら泣くな、女の子はとにかく笑顔だといったすでにカビの生えたような価値観で対応しない。赤ちゃん中心主義だ。それがいつ変わるのか。親の価値観を、大人の社会の価値観を教えようとし始めるのか。そのことを自ら注意しながら子育てをすることだ。いつか、この子は大人の社会に入ってくるのだから、大人の価値観を教えなければならない、と親が思うか自分の行動を客観的に見つめ続けることだ。もしそうした言葉遣いや接し方をしていると気づいたら、それが未来の価値観なのかと考え直すことだ。そう考え直すことが柔軟性の“こころ”だ。

自分の“こころ”の動きを見つめ続けること。そして気づくこと。これは未来の“こころ”のロールモデルとなるのかと、自分の“こころ”に問いかけること。

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