2021年9月4日
「巨人の肩の上に立つ」先人の積み重ねた発見の上に、新しい発見をするという科学の進歩を表現する言葉がある。今までの人類の成果を土台にして、新しい成果を生み出していく。それが現在生きている人類としての一人ひとりの人間が果たすべき役割なのだという考え方だ。
社会的に狩猟採集の社会から農耕社会、奴隷経済、封建社会、資本主義社会と発展していた経済社会が次の形態に発展していくという歴史観。それは社会主義社会であろうと言われてきている。ソビエトが崩壊して社会主義社会という、壮大な実験は失敗に終わったと言われている。にもかかわらず、社会主義と名乗っている中国が経済大国になってきて、アメリカを脅かすまでになっている。中国は社会主義と名乗ってから資本主義経済のスタイルを導入して成長してきた。マルクスの言っていた資本主義が発達した所から社会主義になったのではない。これも新しい実験なのだろう。社会主義ならば、貧富の差は解消されて行かなければならない。そうでないならそれは社会主義とは言えない。全く別の社会なのだ。「巨人の肩に立って」遠くをしっかりと眺めたいものだ。
脱線した。
『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』という題名の有名な絵画がある。フランスの画家ポール・ゴーギャンが1897年から1898年にかけて描いた絵画だ。ゴーギャンの作品のうち、最も有名な絵画の1つである。
解説を読むと、右に誕生した赤ん坊がいて、中央に成年がいて、左に死をまつ老人がいる。そして、左の奥に青白くブッダのような超越者が描かれている。
「人はどこから来たのか?」「人とは何者なのか?」「人はどこへ行くのか?」という3つの問いは、キリスト教の教理問答にあると書かれている。
そうかぁ、キリスト教も悩み考えていたんだ。聖書に全て書かれているわけではないのだ。神を信じるためには考えなければならなかったのだ。でもそれは科学としてではなく、神学としての問いと解、無謬の神の存在を前提とした結論だったのだろう。本当は、それはその時の神父が考えたに過ぎないと言ってしまえば、断罪され抹殺される。
以上