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2021年9月8日

「137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史」という本がある。クリストファー・ロイド 訳:野中香方子(のなかきょうこ)2012年出版の本だ。ロイド氏はイギリス生まれでケンブリッジで歴史を学び、科学記者として活躍し、自分の子供たちのためにこの本はかかれたとのことだ。ページには一日24時間の時間が刻まれている。ビックバンが00:00:00だ。生命誕生が20:48:00、人類誕生が23:58:43、人間社会の誕生は23:59:59だ。僅か1秒の時間だ。この本は480ページほどあるのが、人間社会の歴史はそのうち350ページがわたっている。まだ、パラパラしか読んでいないが面白い。むかし「人間の歴史の物語」という本があった。それの現代版だ。

人間社会の世界史的な本は沢山ある。最近は出口治明氏の「全世界史」がある。

この文章では、個々の出来事を権力闘争や経済視点や民族移動や文化の融合といった視点から細かく分析し理解するということではなく、物質運動史とでもいうか、全く異なった視点で捉えなおしていきたいと考えている。個々の出来事に全く触れないということではない。人類史を石器や衣料や食物を分析することから、コミュニケーションの発達、それに伴う言語の創造、それによる集団形成、気候変動による食糧危機からくる大陸間の移動、大型動物の絶滅(人類の捕食による)からくる食料対策としての牧畜、農業の創造。などといった大きな大雑把な視点を、人間社会に組み入れてみてみようというものだ。

その前に、人類史的にひとつ。ネアンデルタール人は、死んだ人を埋葬し、花を手向けていたらしい。発掘された人骨の上に花の花粉が沢山出たとのことからそう言われている。7万年前の地層らしい。これも、仮説のひとつで、げっ歯類(リスの仲間たち)が越冬のために貯蔵したものではないかと反論されてはいるが。花はともかく、墓穴は掘られていて、埋葬は確かにされてはいる。死者にたいての何らかの感情・思いが生まれていたのは確かな事だろう。そこから霊をイメージし、復活を願って埋葬し始めるのは、古代エジプトのように農業を営みを始めてからだ。2万年~1万年まえのことだ。富と権力の集中が始まり、その力で文化を強制的に発達させてからだ。

それ以前の人類は、少人数の集団で狩猟と採集の生活で、石器の分化で協働と平等な分配の社会だ。ひとりのものはみんなのもので、みんなのものはひとりのものだった。収穫された獲物は平等に分配され、石器や薬草などの知識や技術はみんなに共有されていた。子供たちも母親に密着していると同時に集団で面倒を見ていた。ひょっとすると父親がだれか不問され男たちは女と子供を自分達のものだと共有?していたのかもしれない。(ある意味での母系家族だ。)

そういう文化の社会での価値観はどうだったろうか?守るべき個人所有の富がないため、それを守り増やすための労働や競争や闘争は意識すらなかったことだろう。なんと平和で穏やかな社会であり、生き方だったろうか。競争社会でストレスフルな現代人からするとうらやましさを感じる側面もあると思う。

以上

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