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2021年11月22日

“こころ”は、生活が安全で安心できる状態になって、その豊かさ、細やかさ、他者への共感、感情の言語化、その表現、物語の創造、などへと働きを拡大し深化させて来た。“こころ”が生まれるには、必死に生き延びなくてはならないという状況からの脱出が必要だったと思う。少なくとも他者への共感は、脳にとっても思考する“ゆとり”が必要だった。

人間の社会文化としても、農業と漁業と牧畜と言った第一次産業と言われる経済活動を生み出すことで、食料の確保と、その必要性の中で生まれた集落と言う集団での生活が始まってから、飢えの恐怖、猛獣からの危害と言う恐怖から守られ安全な生活が生まれた。残るは地震や台風や稲妻や竜巻、噴火・山火事・日照り・豪雨と言った自然災害だ。

人間は安心を創り出すために「神」を創り、それら自然災害はすべて「神」の仕業だと理由づけをした。災害と言う結果の原因を見極めたのだ。そして、「神」の怒りという理由を考え、「神」をなだめ、気持ち良く穏やかな日々を創りだしてくれるよう祈った。そうすることで、安心でき安全な日常生活が出来るようになった。こうしたことから、ゆとりの時間も生まれ、脳は“こころ”を創りだした。

人間の創りだした最初の物語は、自然災害による生活破壊と死という不幸を嘆くことだった。人間は(動物はみんなそうなのかもしれない、ただし感情を客観的に自分で捉える能力があればだけど)、うまく問題なく生きていけている時はそれを「幸せ=ありがたいもの」という感覚では捉えず、「普通=あたりまえ」と捉え、意識すらしない。が、大切な人の死や、思いかけない大けがや病気、災害で被害をこうむった時、「不幸」を感じる。そしてなぜだ?と「理由」と「原因」を問いかける。物語は、良しとしない「結果」、受け入れがたい「結果」に対面して初めて生まれる。「あたりまえ」の生活・暮らし・生きている日常が、なぜ破壊されてしまったのか?!そういうネガティブな感情から物語は始まる。

誕生し、大切にされて大きくなって、成人として子供を創り、育てるというサイクルが、農業や漁業や牧畜を営むことで達成された。未来は平穏で明るいものとなった。そういえば、犬や猫や家畜の動物たちも、人間に飼われることで穏健化するという。「人間化する」

というらしい。生活が安全で、食糧が確保され安定的に与えられると、動物も穏やかになり、怒りではなく喜びの表現が多くなると言われている。(何の本だったか忘れた。)

その未来への時間の流れが突然、災害や病気や怪我で切断された時、人は時間を遡らせて「原因」と不幸という「結果」を結び付ける「理由」を創りだし、物語を始め、納得する。こう考えてくると、脳は納得感を得るために思考し発達してきたのかもしれないと思えてしまう。その納得感は、どんなホルモンで得られるのだろうかと考えてしまう。(笑)

キリスト教やイスラム教の基となったユダヤ教は、民族として祖国を追い出されたという不幸をもとにしている。ブッダは、老いること病むこと死ぬことに嘆き恐れることから始まる。“こころ”は、不幸を感じる時に生まれてくるのかもしれない。そういえば、心理学者のほとんどは、自分自身に不幸(ネガティブな感情)を感じていたなぁ。

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